私が10年後の世の中に願うこと。それは男性、女性らしさやそれに対する偏見がなくなり、個々の意思が尊重される世の中になってほしいということ

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〇〇らしさは固定観念の塊だ。固定観念をなくすことは時間がかかる。

女子であってもスカートとリボンの制服だけでなく、ズボンやネクタイを当たり前に選べるようになってほしい。
それと同時に男女で体操着の色分けをやめてほしいと思う。

私の中学では体操着にジェンダーの色を表す色が濃く出ていた。
明るい青と赤だったが、この色分けがしっくり来ない人もいるのではないか。

女子力という言葉もできればなくなってほしいと思っている。
最近あまり聞かなくなった気がするが、料理ができるイコール女子力が高いという式は成り立たなくなってほしい。

1人暮らしで料理をしている男性は偉いと言われがちだ。料理は女性がするものというイメージがそうさせているのだろうか。
一方で女性は料理をすることに関して、やって当たり前と思われている節がある。 むしろやらないとダメという雰囲気さえある。
女性だって男性と同じだけ働いているのに、なぜ夜ご飯をコンビニで調達している男性には忙しいから仕方ないよね、となり、女性は忙しくても料理した方がいいよと言われるのか。誰にだって向き不向き、得手不得があると思う。

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選択の自由が大切だと思う出来事があった。

仕事がとても忙しかった時期に当時仲良くしていた男性に仕事が辛いと愚痴をこぼした。

特に何か慰めを期待していたわけではなかったが、仕事は休まない方がいい、ずっと続けた方がいいと私にとっては予想外の反応が返ってきた。

男性の専業主夫が増えてきている中、女性だけが専業主婦として養われる対象であり続けるのはおかしい。
しかしそのとき私がモヤモヤしたのは、どれだけ仕事がしんどくても働き続けること以外の選択肢が与えられなかったことにあると思った。
こちらが働き続けたいと思っているのに、専業主婦になることを強制されなかっただけリベラルなのかもしれないが、何かを一方的に決めつけられることに、こんなにも怒りを感じることなのかと驚いた。

もう少し掘り下げてみると、 一見働く選択肢を与えていることで、専業主婦として家に縛り付けない寛容な面を見せているように見せかけて、自分の思い通りにさせるという女性を下に見ている様子が分かったから怒りに繋がったのだと思う。

また、私のしんどいという気持ちに寄り添うことなく、自分の考えを押し付けられたという風に当時の私は捉えた。
自分で選択して、納得してその道を進むことを決めることと、誰かに促されてまたは強制されて行うことには同じことをやるにしても雲泥の差があることに気づいた。

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今年29の私は、10年後は女の子もしくは男の子を育てている側に回っていると思う。
どちらの性別であっても何かを強制することなく、アドバイスはするとしても、自分のエゴを押し付けるのではなく選択の余地を与えることを実践したいと思う。