ふと、足が止まった。その瞬間、街灯の光が、1つ、2つと丸く滲む。
そして、その丸い光は、光線となり、私の方を向いた。ただ、何者にも慣れない私は歩みを止めた。
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私は自分で、努力しないと価値がない人間だと思っていた。だから今も専攻しているピアノを必死になってやっていた。毎日同じ、機械化された世界の中、自分は生の喜びすら忘れていた。誰かのために心を救いたいのに、まず、自分を助けてもらいたかった。
私の音は、どこか溌剌として、どこか影があると言われた。当時の私は、その意味が微塵も理解できなかったが、多分、音楽ごと天海に連れ去られていたら、今の私は影になっていたかもしれない、という教師なりの忠告であったことを、20歳目前で気づくことになる。
人は何かを犠牲にして、何かを得る。あまりの名誉欲しさに、学内の優秀者演奏会は片っ端から受け、合格を目指した。そして、我武者羅にピアノに熱中していた私は、大切な友人や、好きな事をする時間、健康を考える時間も、何も考えられず、捨てかけてしまっていた。
全てそんなAIの様な心を持ってしまうのなら、いっそこの世界を何らかの方法で知らぬよう、優しい魔法道具とか呪文があれば良かったと、仮想を白熱させては、言葉を溢すたびに、涙を溢れさせるのだった。
機械でさえ何年かしか持たないのに、こんなスーパーコンピューターで、脳という半導体を熱くさせていたら、音すらも嫌になるに決まっている。永遠に終わらぬカウントダウン、終止符が来ない指揮者の戦いは、奏者である私を心の底から苦しめた。
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ふと、一旦、手を止めようという考えが脳裏を過った。私の人生は、音楽が全てではない。この音楽室から、一歩外に出れば、違う音符を拾えるかもしれない。友人も自分も、大地も、吹き込む風も、全部大切にしたい、かけがえのない、宝物なのだから!
スマホに入っているアルバムをスクロールしながら上部に登ると、屈託のない笑顔でピースをしている私を見つけた瞬間、音を立てて何かが千切れた。
そして時は経ち、卒業間際になり、演奏会諸々を終えた私は、友人に謝った。名誉欲しさに色々捨てかけた物を拾う作業は、本当に本当に大変だったのを今でも覚えている。
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88鍵を1鍵でも欠けば、そのピアノはピアノではなくなってしまう。1ヶ月で88鍵分をコツコツ探しては、ピアノに嵌め込んで行き、卒業間際で、一旦、身を引く事を決意した私は間違っていなかった。
今、彼女はどうだろう、笑顔でピアノを弾いているのか?と俯瞰した、もう1人の私が静かにドアの外から見ている、そう、私は自由なのだ。大きな空に翔ばたいて、自分の作った檻を壊し、友人と笑っているのだ。
「素敵な音は、素敵な状態でないと出せぬ。奏者が鬱なら、ピアノも鬱になる。何かの殻が破れた時、奏者は人に感動を与える事ができる。音楽を愛す前に、自分が愛されている確証を持てば、きっと作曲家は君に微笑む」