恵太と私の出会いは、大学のサークルだった。
私より2学年上の恵太は、10代だった私にはひどく大人びて、かっこよく見えた。
すぐに仲良くなり、トントン拍子に付き合うことになった。
◎ ◎
恵太は、デートではエスコートをしてくれて、重い荷物はいつも持ってくれた。
私が「これ、新しく買った洋服だよ、かわいい?」と誘導尋問を仕掛けると、いつも笑いながら「うん、かわいいよ」と言ってくれた。
優しい人だ。そこが好きだった。
◎ ◎
ある秋の日。
その日は、恵太が一人暮らしをしている家に、私が泊まりに行っていた。
「あー、お風呂入らなきゃ、でも今日は疲れたしめんどくさいなあ」
私はつい独り言を言ってしまった。
すると、恵太は笑いながら、「お風呂は入らないとダメだよ」と言った。
「うーん、お風呂自体は嫌いじゃないんだけどね、頭を洗うのがめんどくさいんだよ。ほら、私の髪の毛長いでしょ?時間かかるし」
私が言い訳がましく話すと、恵太は「髪の毛長いもんね。でも、美容院みたいに丁寧にトリートメントしたら、もっと綺麗になれるよ」と言った。
私にやる気を出させようとしたのだろう。
「そうだけど……。それがめんどくさいんだもん。そんなに言うなら、恵太がやってよ」
半分、いや半分以上冗談のつもりで私が言うと、恵太は意外にも「いいよ」と言った。
逆に私は驚き、「えっ、いいの?」と聞いた。
すると彼は、「うん。やってあげるから、おいで」と私の手を引き、一緒にお風呂場へ行くことになった。
◎ ◎
お風呂場へ着くと、まずそれぞれで自分の体や顔を洗った。
残すはシャンプーだけ、となると、恵太は私に、「じゃあ座って」と声をかけた。
私はお風呂場の椅子に座り、恵太は立ったままで私のシャンプーをするようだ。
「ヘアーサロン・Kにようこそ」
彼は、冗談めかしてそう言ったが、その顔は、どこか得意げだった。
まず、地肌から毛先の隅々まで優しくシャンプーをする。
全てすすいで、丁寧に水を切ったら、トリートメント。
髪をいたわるように、撫でるような繊細な手つきで、トリートメントをまんべんなく全体になじませていく。
その作業に没頭する彼の顔つきは、浴室の鏡越しでもわかるほど、真剣だった。
「かゆいところはないですか」
彼がたまに聞いてくれて、私は「ないです」と答えて、微笑む。
◎ ◎
もちろん彼は美容師ではないので、手つきがぎこちないところもあったが、それでも彼が私の髪を繊細なものとして丁寧に扱ってくれていることはよくわかった。
私はただ座っているだけで、彼が全部やってくれて。
まるでお姫様と執事みたい、なんて思ったりもした。
シャンプーもトリートメントも、私にとってはただの毎日やらないといけない作業でしかなかった。
むしろ、疲れた日には、面倒に感じる。
ましてや、人にシャンプーやトリートメントをしてあげようなんて、美容師でもない私には考えたこともなかった。
でもそれを彼は、わざわざ、いま、私のために、私に、してくれているのだ。
そう思うと、目に見えないはずの、彼の私への愛情が、肌で感じられる気がした。
もちろん、お風呂場なのでお互いに裸であるということもあり、ドキドキするし、彼が私のために動いてくれているという優越感にも浸ることができて……。
私はいつの間にか、この時間を楽しんでいた。
◎ ◎
お風呂から上がると、彼はまた丁寧にドライヤーをしてくれた。
ロングヘアが完全に乾くまで、それなりに時間はかかるが、何も言わず、やってくれた。
そして、いつしか、これは定番になり、何週間かに一回、週末に彼の家に泊まりに行くたびに「ヘアーサロン・K」は開店した。
回を重ねる度に彼の手つきは上達し、私にとっては本当に美容院に来ているような癒される時間になった。
それを彼に伝えると、彼は誇らしげに「愛情がこもってますから」と言った。
私は照れ臭さと嬉しさで、ただ、笑った。
◎ ◎
恵太と別れてから、もう5年が経っただろうか。
恵太と私は、目指している未来が違うとわかり、最後は笑顔でお別れした。
でも、いまだに、ふとした時、彼を思い出す。
特に、街中で、「ヘアーサロン」の文字を見つけた時や、ガラス張りの建物越しにシャンプー台でシャンプーをされている人が見えた時。
どうしようもなく、あのトリートメントの時間を、思い出す。
恵太とのあの甘い時間には、もう戻れないけれど。
今日は自分のために、じっくり時間をかけて、トリートメントをしてみたい。