10年後の女の子たちのために……。
願わくば「私、女の子に生まれてよかった!」と心の底から思えるような、そんな未来を作りたい。
◎ ◎
もしかしたらそんなことを思わなくたって、「私、女性として生まれてよかった!」と感じている人もいるかもしれない。
でも私は今でも「女の子じゃなくて、男の子として生まれていたら…」と考えてしまうことがある。
そんなふうに考えてしまうのは、ほんのふとしたとき。
「今日、生理……?」と聞かれたとき。
「女の人って大変だよね!」と言われたとき。
「女性管理職を増やそう」という文字を見たとき。
「ツイフェミ」という言葉が炎上したとき。
故意に身体をぶつけられたとき。
あぁ、私が女性ではなければ、こんなことにもやもやする必要なんて無いのに。
そう思ってしまう。
人間は誰しも平等!
国籍も人種も関係ない!
もちろん性別もね!
……という言葉が唱えられてから、どのくらい月日が経ったのだろう。
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ヘイトスピーチはしてはいけない。人種差別ももちろんダメ。マイノリティの人たちを尊重しよう。
そういった言葉で溢れているのに、何故か女性に対する発言はどれよりも鋭い気がする。
「は!?女性枠を作るなんて、依怙贔屓だ」
「男女平等ってことは、女性も男性と同じぐらい働くっていうことですよね?」
「いいよな。女ってだけで管理職にいけて」
「レディースデーで女は得するからさ」
「女は女性専用車両があるからいいじゃん」
こういう言葉を見聞きすると、またもやもやが再発してしまう。
私に向かって言われた言葉ではないはずなのに、私も「女」という性別である以上、怒りの矛先が向けられているように感じる。
私はただ生きてるだけなのに。
「女であるから」という理由だけで疲れてしまうことがある。
もちろん、性別で括らなくても、仕事が大変な人がいることも、毎日生きるのに必死で疲れ切ってしまう人がいることも理解している。
それなのに「女であるから」という理由で、私の肩身が狭くなってしまうのは何故なのだろう。
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私の家族は「女だから」という理由で、私を依怙贔屓したり、差別することはなかった。
自分がしたいこと、やりたいことを優先しなさい。自分の人生なんだから、と私の両親は言ってくれた。
私には歳の離れた兄がいるが、兄に対しても両親は同じ対応をしていた。
両親のそばにだけいれば、私は「女である私」を否定することはなかった。
しかし、自分の家族以外の人々と接する機会が増えるほど、女である自分が嫌でたまらなくなった。
男の子が友達を叩いたら「やんちゃな子」なのに、女の子が友達を叩いたら「野蛮な子」になる。
男の子は泥だらけになって遊んでいても何も言われないのに、女の子が土遊びをすると「お洋服が汚れるから!」と止められる。
怪我をすると「身体に傷が残ったらどうするの?」と言われる。
私はやりたいからやる。遊びたいから遊ぶ。そこには性別という枠なんて存在しない。
それなのに、家族以外の社会は色々な枠組みで成り立っていることを知った。その枠組みが余計に窮屈で、退屈になったのは私が大人になったからだ。
◎ ◎
だからどうか未来では、女の子たちが窮屈にならないような世界が広がっていますように。
女の子が自分の道を閉ざすことがない世界。
周りからとやかく言われない世界。
性別によって優劣が決まらない世界。
何より「女の子として生まれてきて良かった」と女の子全員が思えるような世界。
そんな世界があってもいいのではないか?
10年先は何が起こるのか分からない。
でも今よりも女の子たちが幸せに暮らせる世界、そして未来を私は願う。