母が運転する車に揺られつつ、子ども心ながらいつも思っていた。「私が住んでる所も田舎だけど、ここはさらに輪をかけて田舎だ」と。

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そこは母の故郷で、栃木と群馬の県境に程近い小さな街だった。物心ついてからは大体年に1回くらい、ゴールデンウィークあるいは夏休みに、私と妹は母に連れられて祖母に会いに行っていた。祖父は、私が生まれるより前にすでに亡くなっていた。

いつ行ってものどかすぎるくらいのどかな田舎町。人気(ひとけ)がなくて、空がぽかんと広く感じる。
祖母の家(母の実家)の目の前は辺り一面が田んぼで、その田んぼの先には大きな山がどんとそびえていた。私はよく田んぼと田んぼの間にある細い小径をひたすらまっすぐ歩いて、山にどれくらい近づけるかというちょっとした一人遊びをしていた。歩けば歩くほど確かに山は迫力を増していったけれど、それでもまだまだ麓にはたどり着けそうになくて、後ろを振り返ると祖母の家がぽつんと小さくなっていた。そこで私は必ずちょっぴり怖くなり、すぐさま来た道を引き返すのがお決まりだった。

小径を歩きながら、両脇に生えているノビルをよく引っこ抜いた記憶もある。白くてころんとした球根は可愛らしいけれど、匂いはネギとニラを混ぜたような独特さ。私にとって、妙にクセになる野草だった。

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「まりちゃん、見える?ほら、電車だよ」

祖母と庭に出ているとき、田んぼのずっと奥のほうを電車が走り抜けていくと、祖母は幼い私に必ずそう言った。電車は特別物珍しいわけではなかったけれど、しんと静かな田んぼ越しに眺める電車は、人々の生(せい)を感じさせた。あの小さな四角い箱の中で、知らない誰かが目的地に向かって揺られている。街の息づかいを感じられたような瞬間だった。みんな、生きている。1分1秒が、確かに動いている。と。

でも、中学生の頃からはだんだんあの街に行く機会が減っていき、私が高校2年のとき、祖母が亡くなったという報せが入った。葬儀はごくわずかな身内だけでひっそり執り行われ、以来今に至るまで、あの街には一度も行っていない。

一昨年には母も亡くなってしまったから、おそらくもう二度とあの街に足を運ぶことはないのではないかと思っている。でも、子どもの頃のことを時々思い出すと、無性にあの街の風景が懐かしくなることがあった。
元々地図を見るのが好きな私は、よくGoogleマップのストリートビューで色々な街を探検する遊びをよくしている。そのなかで、祖母の家の最寄駅を検索し、そこから右へ左へ画面越しにあの街を歩くことも多々あった。ただ私は、残念ながら祖母の家の正確な住所を知らない。画面の中をうろうろしながら、古い記憶と結びつく風景を探した。

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そんなときだった。また別の画面越しに、あの青々とした田園を目にすることができたのは。

去年、「リリイ・シュシュのすべて」という映画を観た。
岩井俊二監督の映画新作が公開される記念で、YouTubeで全編無料配信されていたのがきっかけだった。もうずいぶん古い映画だけれど、「名作」「衝撃作」と呼ばれていることは知っていた。20歳の頃にも図書館のレンタルDVDで観ようとしていたことがあったものの、実はそのときは途中で観るのをやめてしまった。得体の知れない恐怖を感じたからだ。
一度は挫折してしまったけれど、それでもやっぱり最後まで観てみようと思ったのが去年だった。時間が経っているから、感じ方も変わっているかもしれない、と。

「リリイ・シュシュのすべて」は、中学生のいじめやレイプ、自殺など、重いテーマをたくさん扱っている。モノローグは一切なく、まるでドキュメンタリーのような映像でストーリーを展開しながら、触れたら壊れてしまいそうな子どもたちの繊細な心をありのまま描いている。
20歳の頃に私が最後まで観れなかったのは、人間の「未完成」な姿を目の当たりにしてしまったから、だと思う。まだ形が作られきっていないやわいものに、まかり間違って光を当ててしまったような罪悪感があった。

それでも、去年の私は最後まで観ることができた。決して明るいとはいえない物語ではあったし、罪悪感に似た後味の悪さもあった。でも同時に、「美しさ」も印象的な作品だと思った。

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美しさの象徴の1つが、物語の舞台となる地方都市の景色だった。制服姿の少年少女が歩く道の周りには青い田んぼがどこまでも広がっていて、その茫漠とした雰囲気は寂しさもありつつ、とても綺麗だとも思った。そしてその景色は、私の頭の中にある例の古い記憶の蓋も開けた。ぴったり一致していたわけではなかったけれど、妙に似ていると思った。「リリイ・シュシュのすべて」で映る田園風景に、私はかなり懐かしさを覚えた。

ロケ地を調べてみたところ、やっぱり私の感覚は間違っていなかったことがわかった。母の故郷であるあの街と、かなり近しい場所で撮影が行われていたようだった。あの辺り一帯は田んぼがとても多く、似たような景色があちこちで見られるのだろう。ぴったり一致はしていなくとも、子ども時代ぶりにあの街の空気感を画面越しに感じることができた私は、安堵と嬉しさで胸がいっぱいになった。

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私があの街を好きな理由。
日々に何のしがらみもなかった頃を思い出せるから、だろうか。大きくそびえる山と、視界の端から端を埋め尽くす青い田んぼ。そんな目の前の大自然を、裸の心で受け止めることができていたあの頃。それはどこにでもある山、どこにでもある田んぼなのかもしれないけれど、私にとっては忘れることのできない原風景だ。

死ぬまでにやりたいことリストをもし作るとしたら、「あの街にまた行く」を入れようか。心に残っている原風景をまた直接見ることができたら、きっと心がさらさらと洗われるに違いない。