最近、巷でよく見かける、「SNS疲れ」。確かに、SNSでは、常に人とつながることができるばかりに、疲れてしまうことがある。
ただ、ちょうどいい距離感が見つかれば、人生をちょっと楽しくしてくれる、いい相棒でいてくれるような気がする。

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「いちこちゃん、文章書くの得意そうだから」
友人にすすめられて、私がFacebookと出会ったのは、大学3年生の頃。ガラケーからスマホに買い替えてすぐの時期だった。

当時私は、とある学生団体の一員だった。そこでは「大学生と地域の人たちが、交流できる場を作りたい」という思いを持った有志が、様々な活動を行っていた。
彼女と話したのは、ちょうど私たちが、地域で新しいお茶会を開こうとしていた時だった。
おだてられてその気になった私は、お茶会を宣伝することになった。後輩がセンスのいいチラシを作ってくれたので、その画像と一緒にひと言、「お待ちしています」と書いて投稿する。

しばらくして、ぽつりぽつりと「いいね」が付くと、
「あぁ、読んでもらえたんだ」
とわかり、嬉しくなる。ガラケーにはない体験だった。
そして、そのうちの何人かは、本当に会に顔を出してくれる。

集まった人たちと、それぞれの勉強や仕事のこと、気になるニュースのことなど、自由に話して、お茶を飲む。大学以外の話題に触れられる月1回の時間は、非常に刺激的だった。
ある時、「新聞は、何紙か違うものを読んで、自分の意見を持つといい」と言われ、様々な新聞の特徴を教わったこともあった。大人の世界は、広くて、深かった。

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お茶会でのご縁がきっかけで、私の知り合いは、それまでと比べて格段に増えた。
顔は知っていても話したことのなかった同級生、若手の議員さん、地域のまとめ役のような、パワフルなおじさんなど、新しく出会った人たちとやりとりするようになった。

世代も、仕事も、趣味も違う皆さんの生活を拝見しているはずなのだが、いつの間にか、私の中で、心強い仲間が周りに大勢いるような感覚が芽生えていた。大学を卒業した時も、就職が決まった時も、皆さんのおかげだと感じて、伝えずにはいられなかった。

社会人になってからも、やりとりは続いていたが、大学生の頃と決定的に違ったのが、時間がないということだった。

連日、昼休みになると、スマホを開く。
「あ、また来てる」
投稿したことについて、コメントをくださる人もいる。通知が来るたびに気になって、急いで返信をする。
仕事の細かい内容は、話せないことが多い。
「お元気ですか?」
「コメントありがとうございます」
と書くのがやっとだ。ただ、それでも気にかけてくださる人の存在は、ありがたい。

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しばらくして、仕事が忙しくなった。昼休みにも、スマホを開くぐらいなら昼寝したいと思うようになった。あれほど気になって仕方なかったFacebookだが、暇さえあれば張り付いて見ているものから、家に帰って余力がある時にチェックする程度のものへと変わっていった。大人の世界は、容赦なかった。

それでも、それまでの「友だち」とのつながりが完全に切れてしまったわけではなさそうだ。
今でも、時々投稿すると、学生団体の頃の友人が連絡をくれる。そのまま長話をしたくなると、LINEでやりとりする。近所にいる友人と、話が盛り上がって、お互いに忙しいのに予定を合わせて食事に行ったこともあった。

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遠く離れてしまった友人たちの近況を知ることができるのも、Facebookのおかげだ。特に何かをやりとりするわけではなくとも、投稿の文面や写真から、元気そうな様子が伝わってくる。それだけで、私も元気をもらえる。
お兄さんや、おじさんたちとは、なぜかやりとりすることが少なくなってしまった。それでも、教えていただいたことは、今でも私の中にあると思っている。

人生のステージが変わると、付き合う人たちも変わると言われる。
ただ、出会った人たちが心のどこかにいてくれて、何かのきっかけで、またつながれるかもしれない。それが、SNSのよさなのだと思う。
会えなくても、会わなくても、ちょっとだけ、心の支えになってくれる。それでいい。