私達は、4年付き合って周りからもう安泰だねと言われた今月、3回別れ話をして3歩進んでは2歩下がるを繰り返している。

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元々、彼のデリカシーが無いところや、言葉が雑な所はあまり快くは思っていなかった。乱暴な人ではない。私だけでなく、周りの人にきちんと誠意を持って対応できる人だ。ただ、言い方がストレートすぎたり、必要なことだけを言うのを素っ気なく感じたり、マイノリティのことまでは考えていない言い方だったりと、乱暴なのではなく、雑なのだ。私はそういう言葉選びには人一倍敏感な方だという自覚はあるから余計にそう感じるのかもしれない。悪い人ではない。でも、私はそれで傷ついてしまうことがままあった。

あくまで私の価値観と合わないだけだからと、今まではその点についてあまり指摘しなかった。彼は、話題を変える時、「それより」とよく言った。私はそれに違和感を感じていたけれど、言ったことはなかった。唯一、笑顔で接してくれる店員さんにスマホを見ながら生返事をした時だけ、アイコンタクトと一言言ったくらいだ。

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でも、大学生になり、コミュニティが広がったり、様々なことに取り組むようになったりして、自分が大切にしていることに対して、雑なコメントをされることが無視できなくなってきた。”なつめ”はこうあるべきという理想や、この場ではこうした方がいいという忖度、周りが決めた”なつめ”という人のイメージを彼は押し付けてきた。その全てが悪だとも、偽りだとも言わない。たしかにそれはが「こうありたい願う姿の一側面であり、それに近づけるように振る舞っているから。  

でも、少なくとも”私”は、私が大切にしていることでできている。もし、彼が私が大切にしていることを「そんなこと」というのであれば、彼が好きだという”私”は一体誰のことなのだろう。彼が好きなのは、”なつめ”であって、私ではないのではないか。そんな疑念がこの1年、私の中にずっと静かにくすぶっていた。

そして、今年の8月、誰も否定しない優しくて穏やかな親友が、初めて誰かを否定するのを聞いた。それが私の恋人だった。彼女は、私がデリカシーが欠けていると感じたエピソードを聞いて、見たことがないくらい眉をひそめて言ったのだ、「ダメだよ、別れた方がいいと思う!」と。その言葉を鵜呑みにしたわけではないが、彼女を良く知っているからこそ、無視もできない言葉だった。現状を変える勇気がなくてそのままにしていた部分もあったけれど、その部分が完全に彼女の一言で取り払われた。それから私は彼に感じていた違和感全てをぶつけた。「そんなことより」なんて言わないでほしい。悩んでる私に、「お酒飲めば全部忘れるよ」なんて言わないでほしい。今まで傷ついたこともだけど、小さいこともついでにぶちまけた。

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「大きいゴミ袋は溜まってから捨てるから生ごみ、つまり有機物は腐るから毎日ゴミ出しに行く小さい方に捨ててって何回も言ったよね?なんで鼻をかんだティッシュを毎回大きい方に入れるの?あなたの鼻水は腐らないんですか!?」

これを言うのは理不尽かもしれないというものまで全部を吐き出して、すっきりした部分もあった。ごめんと謝って確かにと私に寄り添ってくれた部分もあった。でも、同時に非を認めても治しきれない部分もあると知らざるを得なかった部分もあった。
私が傷ついたのは、主に、彼の行動に対してではなくて、彼の考え方や価値観に対してだからだ。ゴミの分別は根気強く言えばほぼ確実に直せる見込みはあるだろうけれど、言葉選びに関してはきっとそうはいかない。

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私達がこれからどうするのかはまだ話し合い中で決断できていない。でも、今までの喧嘩をしたことがない仲のいいカップルの歩みを止めて、お互い真剣に胸の内を話せて良かったとは思っている。次に私達が歩き始める時、私達はそれぞれどこへ向かっていくのだろうか。