小学4年のときに父が毎月寄付していた国境なき医師団(以下MSF)の広報を見たとき、漠然と「いつかこの人たちと一緒に困っている人たちを助けたい」と思い私の夢は医師になった。当時「Dr.コトー診療所」や「JIN(-仁-)」を読んで医療への興味が増したせいかもしれない。家族に医療従事者がおらず、医師として働くことがどのようなことかまともに想像もつかないまま、ただ憧れに向かって突進していった。

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中学受験の概念がないどころか大学進学自体が珍しかった田舎の集落では「女の子は勉強を頑張らなくていい」という考えがまだ残っていたが、両親の応援もあり私は大学附属の中学校を受験し何とか合格した。医師になるまでにどれほど勉強をしないといけないのか何も理解していなかったが、まずは一歩憧れに近づいたと思った。

進学先の生徒は必ずしも学習意欲の高い生徒ばかりではなかったが、志高く自主的に勉強に取り組む同級生は地元の公立中学校より明らかに多かった。地元では「医師になってMSFに入りたい」といってもまともに取り合ってもらえなかった。しかし、附属中学校には堂々と「将来は神の手を持つ外科医になりたい」という同級生たちがいて、豪語するだけでなく休み時間を削って自主的にレベルの高い勉強をしていた。県内屈指の進学塾に通う彼らに私の学力の低さを笑われることもあったが、決して私の夢を笑うことはなくむしろ同志・ライバルとして見てくれていた。自分は所詮井の中の蛙であり、憧れは大海のはるか彼方にあることを知った。それでも努力次第では憧れを現実にできるかもしれないと思えたのは良きライバルや先生たち、そして応援してくれる家族あってのことだった。

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高校は近くの進学校に入った。2年のころから成績が急激に悪化し、医学部受験が危ぶまれた。同級生には医学部受験に否定的な見方をする人もいて、彼らの言動に傷つくこともあった。それは単に自分の夢を否定されたからではなく、私の夢はただの憧れでしかなく中身のないものではないかと自分を疑わざるを得なくなったからでもあった。

自分の考えを整理すると、私はMSFに入って国際協力に貢献すること以外の目標が生まれていたため、将来の夢は医師という外枠で変わらず内容が大きく変わっていることに気が付いた。しかし、それもまたMSFで働くことと同じぐらい壮大に思えて、当時の私にそんな夢を語る資格はないように感じていた。憧れと現実のはざまで揺れつつ、紆余曲折ありつつも現役で医学に合格した。大きく憧れに向かって前進したと思えた。

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そして現在。医学生となった私は将来の夢を友人たちと朗々と語り合いながら、とことん勉学に励んでいるのか。否。現実はそう甘くなかった。医学部の勉強は大変であり、ただ目の前の試験をどうやりとげるかばかり考えている。なぜ自分が医学を勉強しているかを考える余裕もなく、せめて今日を生きる術を探すので精いっぱいである。貧すれば鈍するというが、余裕で及第できるほどの学力がないとその先を見据える余裕なんて生まれないのだ。友人たちとの会話はどうやって試験に受かるかばかり。果たして彼らはどんな夢をもって医師を目指し、何を目標に今勉強をしているのか。腹の内は知りようがない。

医学部は高校生までの私にとって憧れの世界であった。しかし、実際はスタート地点でしかなく、その先にはいくつもの壁が待ち構えている。私は本当に憧れを現実のものにできるのだろうか。憧れは消えずに私を待っていてくれるのだろうか。あれ、私の憧れって何だっけ。

医師への道のりは、果てしなく遠い。