「自動車の柄は女の子には使いづらいから、動物の柄にしようかな」

我が子のベビー服を選びながら、そんなことを口にした自分に、ハッとした。まさか、フェミニストを自負していた私が、そんな台詞を吐く日が来ようとは。

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普段の私は「女の子だから」「女の子のくせに」といった言い方にはわりと敏感で、人一倍気を遣って発言しているほうだと思う。
学生時代から男女合同の部活・研究室に身を置き、食事の配膳も荷物運びも当たり前に男女一緒にこなしてきた。職場でも、女性スタッフだけがお茶出しを頼まれるような場面があれば、やんわり男性スタッフにもお願いするようにしている。

それは、私自身が「やっぱり女の子は、お料理ができて大人しい子がいいわね」とか言うおばさん、「運転手が女の子っていうのは、何だかなぁ」などと言うおじさんに今までたくさん会ってきて、こうした言葉に辟易してきたからにほかならない。母から「仕事もいいけど、女の子なのだから結婚して子供を産むことも考えて」と言われ、「そういう古い価値観を押し付けないで」と大喧嘩をしたこともある。

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上の世代の人たちに対し、「どうしてすぐ『女の子だから』と言うのだろう」と憤り、「今の時代にそんなことを言うなんて時代錯誤」と心底軽蔑してきた。女の子だった頃の私はずっと被害者側で、大人から押し付けられた前時代的な女性観を嫌悪してきたのだ。
同時に、自分は当然違う、私たちの世代が差別と偏見に満ちた社会を変えていくのだ、と信じてもいた。

それがいつから、子どもの服を選ぶ時に「女の子だったら、自動車の柄は違うかな」なんて考えが頭をよぎるようになってしまったのだろうか。自分も、今まで散々受けてきた偏見の加害者になり得るのだということを知った。ショックだった。
そして、そちら側に立って気付いたのは「女の子なのだから」「女の子はこれ」の押し付けや偏見は、それを口にしている当人たちは、本当に何の悪気もなく、無意識なのだということ。だから許されるとは思わないけれど、幼い頃から刷り込まれた思い込みがあって、差別や偏見にあたる可能性になんて全く考え至らずに、発してしまっているだけなのかもしれない、と。

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そういえば最近、面白い体験をした。勤務先の公共施設で「女子トイレにオムツ替え台やベビーチェアが設置されていて、男子トイレにないのはいかがなものか」というご意見をいただいたのである。
言われてみればもっともだが、会議で「このようなご意見をいただきました。確かにおかしいですよね!」と訴えたところで、現状はすぐには変わらない。そもそも男子トイレは狭く、スペース的にオムツ替え台やベビーチェアを取り付けられる場所はなかった。設置するにはトイレの間取り自体を変えなければならないが、古い施設でそれをするとなれば、全館閉園レベルの大規模な改修工事が必要だという。当然、今年度の予算では不可能。結局、バリアフリートイレを分かりやすく案内するのと、追加でもう一か所、男女どちらも使えるオムツ替え台を設ける、という対応でお茶を濁す形になった。

誰も「いいや、子どもの面倒を見るのは女性の仕事だろう」なんて考えは持っていなくて、そこに悪意や恣意はないにもかかわらず、それでも女子トイレにだけオムツ替え台やベビーチェアがある施設は、そこら中に溢れている。
ただ無知で、気づけないだけ。加えて、気づいてから現状が目に見えるレベルで変わっていくまでには、想像以上に時間がかかるというだけなのだ。

こういった問題において無関心は罪といわれるが、悪意がないからこそ、変えていくのは数年やそこらでは難しい、というのもまた事実。それでも、「これだから偏見まみれのおじさん、おばさんは!」と憤慨していた女の子だった頃の気持ちも、忘れてはいけないと思うから。

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大事なのは「この言い方は変な女性観の押し付けになってしまうかも」という気づきや、「これって違うんじゃない?」という視点を絶やさないこと。社会も私も身近なところから、じっくり変わっていけたらいい。まずは、女の子に「自動車の柄の服が着たい」と言われたら、「うん素敵だね」と言える大人に。
そうして多くの人が意識し続ければ、10年後には、オムツ替え台やベビーチェアが設置された男子トイレは、当たり前のものになるかもれない。