東京という街はいつ足を運んでも混沌としているし、全体的には綺麗なつもりでも部分的には汚いし、いつ行っても安定していないと感じる。でもそれがいい。
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私の初めての東京は、2001年の3歳頃だったように記憶している。父方のおばが当時渋谷に住んでいて、服飾関係の仕事をしていたためおばのアパートに何泊か泊まらせてもらった。母親とおばに連れられて行った手塚治虫の展示や東京タワーやマダム・ダッソーのマリリン・モンローよりも、私が驚いたのは人間だった。
私と同い年くらいの女の子たちは、私の地元の子達と全く違った。スピリチュアルな表現を用いるならば、放つオーラが違ったのである。全てが整えられ、秩序の元にあり、間違うことのないような完璧な存在に見えた。
都市の景観に合うような美的センスを持った資本のある親に育てられ、明るい未来が待っている希望的な存在。
対して私は真っ赤なリンゴのような色をしてプーッと膨らんだほっぺをしていて、ぷっくらしたフォルムの言語能力だけは有する2つ結びの田舎少女だった。
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おばのアパートに帰ると、大人2人が色々話し込んでいて暇だったのでおばが当時ハマっていた丸尾末広氏の漫画「ギチギチくん」が本棚にあり、表紙が派手で特徴的だったので手に取って読んでみた。
するとその物語の中に、美少女だったのに何らかの理由で肥満体型になってしまった女子学生が出てきた。それを目にした瞬間、「私みたい」と思った。
私だけこの鏡だらけの美しい世界から取り残されている。そのような感情が齢3歳にして業火のように襲ってきたのである。
私の外見コンプレックスの原体験は、おそらくそれだった。もっと色々なことに疎かったらどれだけ幸せだっただろう。
近くの公園に行くと、カラフルでポップな洋服を見に纏った子供達が楽しそうに遊んでいた。そこに混じって遊ぶなんて到底できなかった。地元ではオシャレと言われる人間だったが、もう自尊心はズタボロになった。
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地元に帰ってからテレビに映るミニモニや他のアイドルを観ていても、「私とこの人達は違う……」という思いで頭の中が支配されて不安になり、幼稚園を不登園になった。親には理由は話さなかった。その頃からメディアや視覚的なものに右往左往するようになり、同時に地元の同級生を見下した。テレビに出ている人がこぞって「地方は……」と言うのでそれを間に受け、「メディアに出ている者こそが素晴らしい」と思っていたのかもしれないし、それが態度にも出ていただろう。今はそんなこと微塵も思っちゃいないけれど。
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8月の半ば、画家の田名網敬一氏の展示を見たくて、一人で東京に行った。新国立美術館で展示を見てその世界観に圧倒され、みなぎる生命パワーをチャージした後に表参道のカフェであるエッセイの原稿を書いていると、隣で向かい合って座っていた中学生くらいの女の子の一人が上半身を使って韓国アイドルのダンスを踊り始めた後にアイドルの写真を見て、「顔面が優勝してる」「輪郭が神」「でも私は……」などと言い始めて、「あっ」と思った。やっぱり女の子たちのこういう感情は脈々と続いていくのだろうと思ったし、そこから一抜けピッしたつもりでもいまだに私も内包している。
帰るために原宿駅の方に向かって歩いていくと、ガラス張りでアーティスティックな洋服店がたくさん並んでいた。この街に来たのは中学生の時以来10年ぶりだった。その時と比べても変化していて、どこを歩いているんだか分からなかった。歩いている人々もやはり自分とは違くてこざっぱりとしていて、3歳の頃の感情を呼び戻されたようだった。
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混沌とした東京で変わらない普遍的なもの。それはポップでカラフルで可愛い見た目をしたドラッグみたいな、冷たくて魅惑的で商業的なものなのだと思う。そこが好きなんだけど。