飛行機から降りて、重いリュックを背負ったまま、空を見上げる。冬の澄んだ空気に、人口750万人が住むこの街にも、点のような星がいくつか散らばっているのが見えた。

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「中国語専攻だし、卒業後は中国語を使った仕事をしたい」そう思い切って、でも半年後に控える就活や日常がアルバイトや複数のインターンで充実している日々を送っていたので、留学に行くかどうか迷っていた。
そんな大学2年次の冬、大学の廊下を歩いていたら中国語ゼミの教授に、「大連に行かないか?」そう声をかけられた。

そうした教授の”推し”もあって、私はいよいよ中国に長期留学に行くことを決めた。 

決意してからは行動が早かった。現地で控える最初のクラス分けテストで高得点が取れるよう、参考書をいくつか買って、バイト終わりに品川駅のカフェで勉強をした。

中国に行くからには、「必ず語学をものにしよう」そう思って、留学中の過ごし方などにも考えを巡らせていた。

いざ、出発の日。成田空港を旅立つ時、同じ中国語ゼミの同級生たちが見送ってくれた。
私は日本を立つ寂しさはなく、どこか、異国でこれから始まる未来にわくわくしていた。

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中国の大学は、とにかく毎回、宿題の量が尋常でなくて、出来ないと教科書で叩かれたりする”スパルタ教育”だった。

もちろん、初めの方は中国語を聞き取ったり、授業についていくのが精一杯だった。

私はホームステイだったので、大学から帰ると、またそこでもホストファミリーと中国語で会話することになる。留学前に思い描いていたような、本当に”中国語漬け”の生活だった。

それでも、2ヶ月半ほど経つと、コップの水が溢れたかのように授業の内容も聴き取れるようになり、会話もできるようになった。

幸い、留学初期の頃から、現地の中国人大学生たちが、まだ会話もままならない留学生の私を温かく迎え入れてくれていた。しばらく授業で忙しくて連絡を取れていなかったが、久々に連絡をし、一緒に休日に大連市内を遊ぶようになった。

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徐々に、留学先の大学の部活動や、週末に行われる日中学生交流会なども参加できるようになり、日本で働きたいという学生向けにランゲージエクスチェンジをしたり、日本と中国の生活について真面目に意見交換するようになった。また、長期休暇になると、一緒に中国国内の他の都市に旅行にでかけるようにもなった。

そんな留学生活の中で、一番印象に残っているのは、やはり留学先だった大連の、「星海公園」だ。
ここは、大連の中でも新都心で、どこか日本の豊洲に似ている情景だ。夜の星海公園は、人混みも少なく、中国らしくやっぱり土地は広く、向こう側に建つタワーマンションが色々な色にライトアップされる。

近くには、海もあり、絶品の海鮮料理が食べられる。

なんとも、整備されたコンクリートの地面が平らで広く、目の前に視界を遮るものがなく、海に面した土地の夜風が心地が良い。
日々の喧騒を忘れて、放心状態になれる静かな都市の場所だった。

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日本に戻ってきて、社会人になって、英語を使って仕事をしているが、今でもたまに「帰りたい」と思う。留学先だった大連は、そんな街だ。