私が十歳、東日本大震災から二か月が経とうとしていた頃の話だ。
ゴールデンウィーク真っ只中、家族で動物園に行くことになり、ある動物園を訪れた。遊具の色がかすれていたり、飼育小屋の檻が錆びていたりと、どこか懐かしい、夢のような雰囲気が漂っていたのを覚えている。
私と二歳年下の妹は、両親にせがんで「犬の散歩」ができる、園内ツアーに参加させてもらった。その頃の私達は犬を飼いたくてたまらず、そのツアーがとても魅力的に映ったのだ。
ツアーは、飼育員のお姉さんが先頭に立ち、動物園で飼われている保護犬を、参加者が散歩させるというものだ。私と妹はかわるがわる交換しながら、淡雪色の美しい毛並みをした雑種犬を連れて、園内をぐるりと散歩した。
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散歩をしている間、私が気になったのは飼育員のお姉さんが連れている、ミニチュアダックスフントにしては大きい、栗色の毛並みに、黒色の毛が混じっているダックスフントだった。
散歩が終了した後、犬と触れ合う時間になる。そのとき、飼育員のお姉さんが、例のダックスフントを連れて、私達家族に話しかけてきた。
「この子は東日本大震災の被災犬で、宮城県からやって来たんです。もし良かったら、飼ってくださいませんか」
私はその犬をじっと見つめた。夏の澄んだ夜空を思わせる黒い瞳が、私をそっと見つめ返したと思うと、舌を出して、私の手の甲を舐めてきた。まるで、僕を飼ってよ、というように。稲妻が私の身を貫いたように、ぴいんと私は確信した。今日、この動物園に来たのは、この子に出会うためだったのだと。
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家族も不思議な縁を感じていたらしく、急遽その犬を飼うことに決まった。
痩せっぽちだけれど、体ががっしりとしていたからか、「むさし」と名付けられていたその犬は、我が家にやって来たときに、「マロン」という名前に改名した。そうして、私達家族とマロンとの生活がスタートしたのだ。
マロンはとてもビビリで、ドッグランに連れて行っても隅でおしっこの匂いばかり嗅いでいる犬だった。病院に連れて行けば、体の震えは止まらないし、掃除機を怖がって、過剰に吠えたりした。
その癖に家族に対しては態度が大きなところがあり、ご飯やおやつをよく催促した。人間の食べ物もよく欲しがり、食べ物を虎視眈々と狙う彼の体重は、ダックスフントにしては破格の十二キロを超えるほどだった。
一方で、私が泣くときはさりげなく寄り添ってくれるなど、深い海のような優しさを持っていた。ころんと丸い、我が家の大切な愛犬だった。
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そんな彼は、今年の四月に老衰で亡くなった。私は上京していたから、その知らせを電話で受け取ることになった。
その知らせを聞いたとき、足元が氷上で固められていくような感覚に襲われた。信じられない、どうして。心の支えが急にいなくなってしまった喪失感。暗い水底に閉じ込められたように、目の前が真っ暗になった。
急いで帰省し、彼のお葬式に際して、棺桶に花をたくさん詰めた。穏やかな面持ちは、私達を安心させる。涙がとまらず、思わず「帰って来て」と何度も口にした。帰ってこないのは、分かっているのに。
彼をお寺で火葬するとき、和尚が仰っていたことが記憶に残っている。
「マロンは、これからもあなた達の中で生き続けるのです。だから、苦しいことがあっても、励んで生きねば」
私は胸に手をやった。ああそうか、マロンは私の胸で、灯火のように生き続けるんだ。そう思うと、春風が胸を吹き抜けるような、不思議な心地が身を包んだ。
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私はそばにいてくれた君のことを忘れないよ。愛している。それだけで、もうきっと充分なのだ。ありがとう。
マロンのためにも、辛い日々を乗り越えてみせる。お姉ちゃんは頑張ります。いつも見守っていてね。私はすっと、そんなことを思ったのだった。