小学校から短大までの通学路になっていた実家近くの細道がある。道の隣には小さな川が流れていて、昔ながらの木造建築が建ち並ぶ。そこには個性豊かな住人たちがいた。あの時はあれが普通の光景だったが、今だったら迷惑だとか不審だとかで警察や自治体に報告モノだったと思う。たったの十数年で大きく人々の価値観は変わったのだろう。

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まず、腰の折れ曲がった白髪の老婆が自作の注意貼り紙を川の柵に引っ掛けていて、いつも細道を通る人を監視していた。貼り紙はマジックペンで手書きだった。紙ではなく、A4サイズくらいの板に書かれている時もあった。
老婆は細道の出口付近の家に住んでいた。貼り紙の内容は“ポイ捨て禁止”とか"ゴミを捨てるな"とかまあ至極真っ当だった。だが、小学生ながらに異様な雰囲気を感じ取っていた。ものすごい剣幕で睨まれながら爽やかな朝に登校しなければならないので気分の良いものではなかった。でも挨拶したら一応は返してくれる。
一緒に登下校する友達と、「今日はあの人出てるね」と老婆の出勤確認をしていた。

霜がおりて草木も凍るような寒さの日にも、防寒グッズを身に纏って外へ出ていた。今考えたら相当川を綺麗に保ちたかったのだろうと思う。
その人の息子が、「昔ひとカラで培った歌が底なしの承認欲求を束の間満たしてくれる」で書いたストローハットのおじさんだった。私が中学生くらいの時に老婆の家の前に御霊燈のちょうちんが下がっていたことがあった。それを見て私は彼女が亡くなったことを知った。

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老婆の家の周辺には、ゴールデンレトリバーを飼っている老爺もいた。犬の名前はゴンちゃんといって、"ゴンちゃんのおじさん"は、犬を介して私たち小学生と話す。
「ほらゴンちゃん、お客さんだよ」とか、「ゴンちゃんもそうだよね〜」と、若い女の人がやりがちなアレを自然にやっていた。

おじさんは庭先にやって来るスズメに米をばら撒いて、スズメ達はそれを美味しそうに食べていた。
ゴンちゃんは亡くなってしまったが、おじさんは今も健在だ。今となっては話すことはもうないけれど、そこを通るたびにまだ生きているんだなと安堵感を覚える。

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小学生の頃、その細道を通るといつもではないものの生臭いような、何かを焼いているような、簡単にはちょっと形容し難い生理的にいやな匂いがしていた。
私は勝手にそれを自分の中で"死体を焼く匂い"か"人間を炙っている匂い"だと感じ取っていた。
火葬場のあの生臭さにとても似ているように思った。でも、近所にはもちろん火葬場なんてない。
友達に言っても全然反応が得られず、私だけ異常に嗅覚が敏感なのかと思った。
時を経るにつれてその匂いはなくなっていった。そういえば、老婆が亡くなった時あたりからなくなった気がする。だから、老婆が何かを燃やしていたのかもしれない。

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今そこを通ったとしても、その匂いは全くしない。
「一体あの匂いは何だったんだろう?」と不思議でならない。きっと実際のところはホラー的な要素はなく、花の香りや私の思い違いだったのだろう。