仕事一筋で優しくて気前のいい親戚のおじさんが、幼い頃から大好き

私は幼い頃から親戚のおじさんのことが大好きだった。おじさんは父の兄に当たる人で、仕事一筋で優しくて気前のいい人だった。
何故か結婚はしていなかったが、趣味に旅行に常に楽しそうで、家に遊びに来るのが待ち遠しかった。小学生のときはおじさんが帰る時に泣いてしまって困らせたくらいだし、結婚式の中座のエスコートを頼んだ。

おじさんの何がそこまで好きだったのか、考えてみた。
まず私の父は厳しく、難しい性格をしていた為、大人になった今でも少し距離がある。四角四面なところがあり、こうと思ったら曲げられない性格なので息苦しく感じていた。
そんな父とは対照的な性格をしていて、優しくておおらかな性格のおじさんだった。たまに来る兄の方が子供達に好かれて、父はおもしろくなかったかもしれないが。

おじさんは、犬を飼いたい私の願いに耳を傾け、真剣に対応してくれた

ある時、私はおじさんの自転車に乗せられて、祖母の家の近所をサイクリングしていた。都会暮らしのおじさんの移動手段は自転車だった。
「おじさん。わたし、犬が欲しい」と伝えた。小学生2年生頃だったか、大抵の女子は抱くペットを飼いたいという願望が私にもあった。
両親はもちろんNGで、理由は私が生まれる前に飼っていた犬が病気で早くに亡くなり、もう飼わないと決めたから、だそうだ。
私は納得いかなかった。みんなだけ犬を飼ったことがあるのに……ずるい。そう思っていたので、仲の良いおじさんに説得して貰おうと思い話した。
おじさんはサイクリングの後のみんなが集まる夕飯の席で、「犬が飼いたいって話してたよ」と真剣に話してくれた。両親は渋い顔をしたが、譲歩案として犬の大きいぬいぐるみを買うことでその場は収まった。

ぬいぐるみか……と多少落胆したが、その時それほど落ち込まなかったのはおじさんが子供の話に耳を傾けて真剣に対応してくれたからだろう。もしうちの親なら、その場では子供に当たり障りなく対応するものの、実際に話題に出すことはないと思う。

ひとりの人間として尊重してくれたことを、未だに思い出す

そんな風に、子供に対して真剣に向き合ってくれるおじさんが好きだった。結婚もしていないし子供がいる訳でもないのに、なんでおじさんは子供に好かれ、向き合うことができたのだろうか。
直接聞いたわけではないが、多分おじさんが自分の子供時代の感覚を大切にしているからではないかと思う。親にしてもらったこと、こうして欲しかったことを自然に子供にできるところがある。

そんなおじさんは職場の人にもとっても好かれていて、祖父母の葬儀の時は何百名という会社の人が駆けつけていた。子供に好かれる、というより子供とか大人とか関係なく周りに好かれる人なのだと思う。子供の意見だから、と耳を閉ざすのではなく一人の人間として意見を尊重してくれたことは未だに思い出すし、自分も人に対してそうありたいと思う。

今年の暮れにいよいよ私も30歳になるが、子供の自分もまだしっかり存在している。子供の頃されて嬉しかったこと、されて嫌だったこと、しっかり覚えていて子供にも接したいと思う。
コロナが終わったら、都会に一人暮らしするおじさんに子供を見せに行くのが楽しみだ。