「きゅん」というより「でへえ」。

7年の付き合いになるパートナーとの日々を表すにふさわしい言葉だ。付き合い始めの頃は、もう少しピリッとしていたはずだ。互いの好き嫌いを探ったり、長く付き合っていけるだろうかと不安に思ったり、奇跡的なバランスでそこにある岩みたいな、絶妙なバランスで私達はつながっていた。それが、長い年月をかけて張り詰めていた糸がどんどん緩んだ。「でへえ」の完成である。

◎          ◎

特段「でへえ」を感じたのは、私が体調を崩した時のこと。
当時、1DKに2人で暮らしていた。冬の寒い日に熱を出し、コロナ禍ということもあり全力隔離をすることに。リビングルームにベッドを置いていたため、とりあえず寝ていた方が良さそうな私がメインの部屋を占領することになった。

問題だったのは、彼が過ごすことになったダイニングキッチンにはエアコンがなかったこと。電気の光が眩しくて、ドアを開けておくわけにもいかない。

彼はヒーターと毛布を携えてリビングを出ていった。それから、ダイニングテーブルでテレワークをし、ご飯を食べ、パソコンでYouTubeを見ていたようだ。寝床はどうしようもなかったので、同じ部屋に布団を敷いて、互いに背中を向けて眠る。

疲れが溜まっていたのだろう。私はとことん眠り続け、2日もすれば起きていられる時間が増えた。そろそろ人と話したいなと思い、ダイニングでYouTubeを見ているであろう彼に向かって声をかける。「ねーねー!昔話して!」

◎          ◎

「昔話して」は、「なんかおもしろい話して」の類語である。スマホを見るには寂しいけれど特にネタもない時、なんてことない昔話をよくしていた。

「14歳の思い出」とか「1番古い記憶」とか質問し合うことで、自分でも忘れていたようなことを思い出す。育ってきた環境から出会う前の青春まで、7年も一緒にいたら知っていることばかりのような気がしてくるけれど、27年分の昔話は毎回新たな発見があっておもしろい。

ダイニングは静まり返ったまま。2日ぶりに腹から声を出したが、ノイズキャンセリングを突破できなかったようだ。もう一度叫ぶ元気はないな、と思いながら布団をかぶろうとすると、ガタゴトと席を立つ音が聞こえた。

期待のまなざしを向け待っていると、スライドドアが静かに開いた。暗い部屋に、光が差し込んでいく。現れたのは、テルマエ・ロマエさながら、毛布を全身にまとった彼だった。一歩だけリビングに足を踏み入れ、説法を説く僧侶のように、昔話を語り始める。

◎          ◎

2日間テルマエ・ロマエ姿で寒さをしのいでいたのだろうと思うと申し訳なくて、なんだか不憫で笑ってしまう。そのうえ、「小学校低学年の思い出」というオーダーへの回答が、トイレに行きたすぎて学校から走って帰ったのに、母親がインターホンを押してもなかなか出てこなかったせいで玄関口で漏らしたというさらに不憫エピソードだったので、いよいよ笑いが止まらなくなった。

好きな人の子供の頃のエピソードなんて、何を聞いたって心がホッコリ温まる。きっと可愛らしい少年時代の彼も、目の前のテルマエ・ロマエも愛しくてたまらない。

久しぶりに声を出して笑ったら、すっかり布団に沈んだ心が少し軽くなった。明日は、仕事に行けるかもしれない。

羽毛布団ごしのテルマエ・ロマエ。神々しい姿から放たれるうんこ漏らしエピソード。「きゅん」には程遠いけれど、1DKに愛が凝縮されていた。