私の夢はスポーツ現場でアスリートのために働くことだった。小学生の頃から超スポーツ少女だった私。その時に関わってくれた人に憧れ始めたのがきっかけだった。
その夢を叶えるために大学に入り、資格を取り、大学院にも行った。もっとやれた、と思うとキリはないけど、それでも間違いなく努力したと思う。在学中は多くの先人たちの活躍を見聞きした。

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オリンピック、ワールドカップ、世界陸上、世界水泳、WBC、あらゆる大会や練習のためアスリートとともに日本を、世界を飛び回る先人たちに心から憧れていた。アスリートから、この人がいてくれたおかげですと言われる人の姿に何度も自分を重ねた。

その中でも特に1人の女性に強く憧れていた。
彼女はアスリートから信頼され、文字通り世界を飛びまわり、様々な知識と経験を持つスペシャリストだった。でもそれを全く鼻にかけず、大学で勉強を始めたばかりの私にもとても親切にしてくれた。
いつしか、自分もあの人みたいになるんだ、アスリートのために働けるのなら世界中どこでもいい、どれだけでも勉強も仕事する。そして自分もいつかアスリートから信頼され、後輩から憧れられるスペシャリストになるんだ、と考えるようになっていた。
そんな決意を胸に大学院を卒業し、社会人1年目として下積み生活を送っていたある日、ビッグチャンスが舞い込んだ。
とあるスポーツチームがスタッフを探している、そこに私を推薦してくれるという話だった。
願ってもない話だった。二つ返事でお願いした。
そこからはあれよあれよと話が進み、大急ぎで契約締結と引っ越しを済ませ、2ヶ月後にはそのチームのスタッフとして働き始めた。縁もゆかりもない土地で1人、憧れていた環境で働けることに燃えていた。

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でも、現実は厳しかった。
毎日できないこと、分からないことばかりだった。アスリートと良好な関係を築くこと、自分の専門業務、チームの仕事、何一つ満足にできなかった。
それだけならまだいい。知識や技術のなさは、努力でカバーすればいいだけの話。勉強は得意だし、経験のなさは仕方がない。地道にコツコツやっていくのみだと思った。
でも私の一番の問題は能力の低さじゃなかった。

一番の問題は、仕事以上にプライベートを大切にしたいと感じるようになっていったことだった。
スポーツ現場で休みなく働くこと、アスリートのために毎日早くから遅くまで働くこと分かっていたはずなのに、そんな過酷ともいえる働き方にも憧れていたはずなのに、できなかった。
結局、1年経たないうちにリタイアしてしまった。
恥ずかしかった。
相変わらず最前線で活躍し続ける先人たちを見て、自分はああはなれないんだ、と心底落ち込んだ。
憧れの姿への第一歩を踏み出した途端の大きな挫折。根本的に向いてないという事実。私の努力はなんだったのか、なんで憧れていたはずの場所で頑張れなかったのか、どうして遊びたいと思ってしまうのか、自分が心底情けなかった。

恥ずかしくて、情けなくて、大学の恩師や同じような道をいく仲間にはしばらく報告できなかった。

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リタイアから1年経った今、もう落ち込んではいないけど、頑張れなかった自分を、向いてなかったという事実を受け入れることもできていない。

この先、今の自分をきちんと受け入れ、この経験も無駄じゃなかったと思える日が来るのだろうか。
ワークライフバランスを重視した会社でゆるゆると働きながら、ぼんやりと考えている。