いつも、外では笑顔で、誰への不満も愚痴も言わない優しくて穏やかな人を演じているから、ここでだけ、このエッセイでは一旦歩みを止めて愚痴を吐かせて欲しい。

私は、今年から今まで習ってきた茶道と英語を活かして、海外観光客に茶道を教えるという仕事をしている。教えるといっても、軽く茶道の歴史や道具、一期一会などについて説明して、お点前を披露するくらいなものだが。
そこで私は、結局そんなものだよなぁとか、理不尽じゃない?とか、それでいいの?とか思いながら日々働いているわけである。

◎          ◎

その職場のスタッフの多くは茶道を昔やっていたことがあるという50代以上で、数名常駐している社員は30代くらい。そして、その他の英語要員として私と同年代が数名。

つまり、茶道を10年弱習っていて、英語はそこそこの私はこの分布のどこにも属さない。

50歳以上の方達は大体、道具の扱い方や所作、説明に関して若者たちに不満を持っている。得意顔で言ってるけどその説明正しくないわよというふうに。

逆に若者たちは、あの人達の英語は堅苦しいし、発音も悪い。お客様は本格的な茶道を習いたいわけじゃないんだからこのくらいカジュアルな方がいいんだよと思っている。

私はというと、同年代の茶道の知識の浅さにもどかしい思いをしている点では年配組と同じ気持ちだが、一方で若者組と同じように、発音の悪さや堅苦しさには思うところがある。

これだけなら間にいてバランスがいいじゃないかと自分でも思うが、そうではないから苦労をしている。

◎          ◎

私は見た目の割にこの職場では茶道経験は長い方だ。でも、大抵のスタッフはそれを知らないか忘れてしまっているか、いや、正確にいうならこんな若くて下っ端の私の言葉には重みがないと思っているのだろうと思う。

道具の洗い方や着物の着付け方など、さりげなく伝えようとしても大体暖簾に腕押しだ。私より茶道歴の短い年上のスタッフが同じことを言えば聞く耳を持つのに。

英語に関しては、私は日常会話には困らない程度には話せるくらいだ。ペラペラと自分の伝えたいことを正確に言葉にできるわけではない。

でも、周りの同年代は茶道経験はないが英語力を見込まれて採用された人達ばかりのため、何かトラブルがあったなどの際には肩身を狭い思いをすることがある。

私の能力不足の問題だ。分かっている。でも、他の人は自分の得意を活かして足りないところは周りに頼ることができているのに、私だけ、得意も活かせず、かと言って苦手な部分を素直に頼ることも気が引ける中で働いている気がする。

◎          ◎

私を気にしていない他人から見れば全く気にならないのだろう。でも、私は私が大切でできることなら不用意には傷つきたくない臆病だから、理不尽だと思ってしまう。

それでも、もう少し、好きな茶道と、貴重な英語を使える環境のあるこの職場で働きたい。だから、人間関係だけは、下っ端の私には環境を変える力はないけど、せめて自分でなんとか視点を変えて今の状況を自分の糧にできるような見方をしようともがいている。