小さな頃から、厳しく育てられたと思う。

例えば「単語には『お』をつけなさい」。「お豆腐」「おトイレ」とか、とにかく“お”をつけた。これは「じゃあ『ごはん』は『おごはん』って言うの?」とだる絡みをされて、よく笑われた。

他には、電話越しで名乗る時に「〇〇でございます」と言う。母の電話の真似。これもわりと笑われる。確かにサザエさんか私くらいかもしれない。

知らない人にも愛想よく挨拶をするし、座っている時、足は閉じる。これらは私が“女の子”ならではのしつけである。

私が祖母の前で屁をこくと「おならはトイレでしなさい!」と怒られた

小学生の頃、便秘気味の私はしょっちゅう屁をこいていた。ただし、祖父母の家に行った時は、少しだけ緊張した。屁をこくと、祖母がめちゃくちゃ怒るのだ。「ぷっぷかぷっぷか、するもんじゃありません!」と。

そんなこと言われても困る。我慢しようったって、屁は出る。緊張する割に、すぐ緩んでまた屁をこくもんだから、祖母は「おならはトイレでしなさい!」と毎回私にキレた。

私には6つ年の離れた従兄弟がいる。当時、幼稚園の彼も同じように屁をこいた。しかし、彼は何も注意されない。「どうして私だけ怒られるの!?」私は口論した。祖母は「あなたはお嬢さんでしょう」と言った。間髪入れないその言葉。めちゃくちゃモヤモヤした。

ある日、祖母と母と私でリビングにいることがあった。祖母は「ちょっとおトイレ」と言い、リビングから出て行った。トイレのドアが閉まる音が聞こえる。同時に1分間ほど鳴り止まない凄まじい「ブービビビ」みたいな屁の音がリビングまで聞こえてきた。

「おばあちゃんもするじゃん!」と、戻ってきた祖母に文句を言った。「私はちゃんとおトイレでやったでしょう」と自信満々に答える祖母のことが、まじで意味がわからなかった。

中学生になっても私は、相変わらず「屁」に悩まされていた

中学生になると、私の周りの女子は大半が“女子”だった。この頃になると学生らは、大便よりもセックスの方に興味が増えだすが、まだ学校で大便をすることに対して恥ずかしさもあった。

当時、右隣の席には好きな男子が座っていた。私はめちゃくちゃにお腹が痛かった。屁が出そうだった。私は、相変わらず屁に悩まされていた。今立ち上がれば、“大便をしに行った女”になる。好きな人の前で、それはキツかった。そろそろ帰りの会は終わる。後少し頑張れば…

終了5分前。私は、すかし屁をした。マジで臭かった。左隣の男子は「くせえ」とクスクス笑っていた。しかし、後ろの女子と右隣の好きな子は耐えていた。一生感謝。友人が私の席に寄ってきて耳打ちした。「おならした?」私は平然とした顔で「してないけど?」と嘘をついた。じわりと冷や汗が流れる。

祖母の「私はちゃんとおトイレでやったでしょう」と言う言葉が蘇る。おトイレでやれば良かった。

後日、とある男子が、授業中にうんこを漏らした。噂は一気に違うクラスへと流れ、あらゆる生徒たちが彼を一目見ようと教室を覗いた。彼は平然としていた。

その度胸が羨ましかった。一歩間違えたら、これは私になっていたかもしれない。でも、女子の私が漏らしたら完全にアウトだろう。男子はいいなぁと思った。思ってしまったのだ。

私は自ら男女差別を受けていると、そしてそれは嫌だと思っていたのに、いつの間にか自分で男女差別をしている。自分に“男子とは”・“女子とは”がこびりついているのだ。

私の中で「女とは・男とは」という思想が植え付けられている

屁をこいても怒られなかった従兄弟が「今月入籍した」と母から連絡を受けた。正直、負けたと思う自分がいた。

女性はさっさと結婚すべきなんて、そんなの時代錯誤だと思う。だから、他人に対してはそんなこと思わないし、こんなこと誰にも言わないけど、間違いなく私の中でそういう思想が植え付けられている。私が一番、私を縛っている。

時間がかかったとしても、この呪いを解き放ちたい。これが私が、“私”を変えたい話。

とりあえず、今の学生のみなさんが大便に気軽に行くことができるような学生生活だといいなと思います。男女問わず、漏らす前に。