さっきまで子供が遊ぶような公園があったはずなのに、小さな交差点を境目に異世界になる。日中にも関わらず張り詰めたような空気感。ネオンなんて無いのにギラギラするように目に入ってくる看板。歩いているのは男性ばかりで、ここにいる人はみんな目的は同じなのかなと感じる。歌舞伎町のギラつきとも違う。道玄坂のラブホ街の後ろめたさとも違う。
初詣で浅草の今戸神社に行って、そのままなんとなく女二人で足を運んだ吉原。不用意にキョロキョロできないような独特の感覚に、私たちは圧倒されていた。

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私たちは既に一回、吉原に行く機会を逃していた。文学部国文学科に所属していたため、有志で「文学散歩」という日本文学の名所を巡る企画が存在していた。吉原と言えば樋口一葉の『たけくらべ』の舞台。一葉記念館もすぐ近くにある。せっかくの機会なので参加したかったのだが、大学一年前期のテスト前ということもあり、初めてのテストに怯えていた私たちは参加を見送ったのだ。女子大だったので、おじさん大学教授と女子学生二十人くらいで風俗街をぞろぞろと歩き回ったらしい。ぜひその場に居合わせたかったものだ。
だから、折角だし吉原に行ってみようとなるまで時間はかからなかった。

風俗街に入ると緊張感が漂った。場違い感がすごい。各店舗のエントランスには恰幅のいい黒服のお兄さんがいて、ちょっと怖かった。たまに女の子を見かけるが、多分このあたりで働いているキャストの子なんだろうなという感じで、それ以外はほとんど男性しか歩いていない。

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信号待ちをしているとき、自転車に乗ったおじいさんに声をかけられた。近隣住民らしい。「やっぱり吉原の女の子は綺麗な子が多いね〜」と満面の笑みである。「でも男には気をつけなきゃだめだよ。男は脳みそが下についてるからね。ハハッ!」と言って去っていく。私たちは顔を見合わせて困ったように笑うことしかできない。

他に異様さを感じたのは、街のいたるところに「喫茶」という店が点在しているところだ。普通の喫茶店かと思って覗いてみたが明らかに違う。長テーブルとパイプ椅子、珈琲500円という明らかに入ってはいけない雰囲気。たまにバッチリメイクの強そうな女の子がいる。後でググったところ、吉原にある喫茶とはいわゆる無料案内所みたいなところで、好みの女の子を探すときに利用するところらしい。どうやら吉原の喫茶には一生お世話になることはできなさそうである。

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吉原に行ってから、私は度々あの空気感を思い出す。そしてまた足を踏み入れたくなる。多分本当は羨ましいというか、憧れというか、そんな感情があるんだと思う。
私はうつ病になる直前、1か月だけガールズバーに勤めたことがある。普段の仕事では使い物にならなかったし、1人でいると鬱々としてしまうので仕事以外のことを考える時間が欲しかった。それに身ひとつで稼いでくる水商売の人をかっこいいと思っていたからだ。結局は自分には全く合わない仕事だと実感させられて終わったのだけれど。

吉原で働いている人はどういう経緯でその仕事に行きついたんだろうか。それ以外の仕事につけなくて仕方なく、ということであれば何かしらのセーフティーネットが必要になってくるだろうが、自ら進んでその仕事でやっていく覚悟をした人については、私はリスペクトを感じる。だって、自分の力で稼いでくるのって簡単なことじゃないから。

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今日も私は私以外でもできる、何でもない仕事をこなして生活している。私だけにしかできない仕事なんてこの世にはなさそうだ。いや、大抵の人はそうなのかもしれないけれど。それでも私は自分の力で稼いでくることを諦めたくなかった。誰かに必要とされたかった。今では心を壊して普通に働くことも難しいけれど。

吉原のヒリヒリとした緊張感は、私が持っていないものをこれでもかというくらい突き付けてくる。私は私が持っていないものを見せつけられて、恋しいような、よくわからない気持ちになって、また会いに行きたくなってしまう。あの街に。