子どものころ、仕事をバリバリこなしている大人になりたいと思っていた。
携帯片手にスタスタと歩き、指示は的確で端的にズバッと言える人。キャリアウーマンやバリキャリという言葉が似合う、クールビューティーな大人に憧れた。
仕事も早くからしたいと思っており、20代後半になれば仕事は楽しくなると漠然と思っていた。
社会人になったとき、念願の社会人として、大学の卒業式から入社式までの数週間はとてもワクワクした。ソワソワもしていたが、これから仕事ができるという嬉しさが大きかった。
しかし、そんなワクワクは一瞬で砕かれる。
仕事には必ず基礎というものがある。機械の使い方、パソコンのソフトの使い方、会社や部署でのしきたり。ただテキパキと働いているだけではない現実を目の当たりにした。
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子どものころは、大人の理想像をすべてテレビで吸収していたため、現実は何も知らなかった。ドラマが大好きな子どもであった私は、かっこよく見えるところだけを見て育った。
それが故に、仕事の基本や家に帰ってからの生活など、現実は想像以上に地味で地道なものだとは知らなかったのだ。
バリバリ働く女性は、仕事が生きがいで、休む暇などないくらいに働いている印象があった。休日があるとするなら、自己研鑽のための時間に費やし、仕事と結婚しているといってもおかしくないくらいに人生を捧げていると。
私も、それがかっこいいと思っていた。私は早くから将来の夢が決まっていたので、一層仕事をすることへのあこがれは強かった。仕事に溢れていて、プライベートの時間をなくすくらいに忙しくしているのが、仕事ができている勲章のように思えていたのだ。
「仕事だから」という文言すらもかっこいいと思えていた。当然、子どものころは労働基準法など知らない。休むことの大切さや、休みが欲しくなる感覚は働いてみなければわからない。仕事に夢中になれる大人が本当に素敵だと思っていた。
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社会人として働き始めたころは、思っていたよりもかなり大変で音を上げそうになった。理想との乖離が大きかったので、働くとは?と毎日考えていたこともあったくらいだ。
だがしかし、最近になって仕事を楽しむ余裕が出てきた。前とは働き方を変えて、自分が納得して働く方法に変えた。最近急に、今の働き方は自分に合っていて楽しいと感じられるようになったのだ。
20代後半に仕事が楽しいと思える瞬間が来るというのは本当だった。
もちろん、今でもこんなはずではなかったという場面はあるが、それも社会を生きる人として受け入れられるようになってきた。慣れといえばそうかもしれない。でも、受け入れる体勢ができているのは進歩ではないだろうか。
仕事ができるように見える裏には、仕事に慣れる時間と現実を受け入れる心が必要なのかもしれない。
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子どものころに憧れた大人の姿に、少し近づいているように思う。今の仕事が楽しいと感じられる私は、なりたかった私の姿でもある。完全に手に入れたとは言い難いが、理想の大人像のなかでも、仕事を楽しむことは大きな部分を占める。満足度が高くなりつつあるということだ。
子どものころの私が描けたのは、20代まで。30代からの理想はこれから少しずつ描いていくことになる。すでに取得したい資格や、このまま持ち続けていたいスキルがあるので、そこを叶えていくのが長期的な目標になるだろう。
ただ、漠然とこういう将来を描きたいという想像はきっとしなくなっていく。
ならばここで考えてしまおう。
30代、40代に向けて、私が憧れる大人像を。
第一に、楽しいと思える生活をすること。仕事も普段の生活も、楽しみながら暮らしたい。年齢を重ねていけばいくほど幸せを感じられると思う。
次に、ゆとりを持てていること。人生において、ゆっくりできる時間を設けたい。20代は全力疾走をすると決めているので、30代後半から40代になったとき、少し歩いてもゴールできると確信できる余裕を作りたい。
いつか振り返ったとき、叶っていると自信を持って自分に伝えられる私になれていますように。