幼い頃、母が流暢に英語を話す姿に驚き、別人のように感じた。そんな風になりたいと思い、英語を学び始めた。
簡単な課題ながら、母のような発音を目指し、CDを何度も聞いて真似した。
英語を追い続けて早15年、現在バンクーバーで保育士として働き、多様な人たちと出会ってきた。その中で「アクセントは自分のバックグラウンド」という考えに気づき、無意識のうちに自分に課してきたハードルを下げることができた。
そんなある日、母がバンクーバーを訪れ、英語を話す場面に立ち会った。母が英語を話す姿を見た瞬間、私は思わず違和感を覚えた。自分よりも長く生き、人生経験豊かな母を「追い越してしまった」と感じる瞬間が訪れたのだ。
かつては「ネイティブのように話す人」と思っていたが、少したどたどしく話す姿に「あれ?」という気持ちが生まれた。
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私の母は60歳近くまで英語を学び続けていた。育児と並行して学習を続けた母の姿は、私にとって大きな影響を与えた。
今でもぼんやりと記憶にあるのが毎週火曜日は父が早く仕事を切り上げて帰宅し、母は夜の英会話のレッスンに行っていたことだ。
中学に入学してからその頃のノートを見せてもらった時は「大人になっても勉強しなきゃいけないのか」とげんなりしていたが、今となっては幼い子ども2人を育てながら、その空いた時間で勉強をし続けて言語力を保ち続けようとする意欲に驚かされる。
きっと私は英語ではなく「何かに懸命に打ち込む母の姿」をとてもかっこいいと思ったのだろう。
私はあまり物事に懸命に打ち込むタイプではなく、コツコツと努力を積み重ねることもあまり得意ではないため正反対な素質に惹かれたのだとも思う。
英語学習を始めた私は母を頼りに頼った。
時には「どうしてこんなものすら自分は理解できないのだ」と悔しく思い大泣きしながら母に八つ当たりした日もあった。
それでも母はそんな私の学習に根気よく付き合い続けてくれて、勉強を教え続けてくれた。
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幼い頃から英語を勉強し続けた私はいつしか「海外で仕事がしたい」と思うようになり、念願叶ってカナダで保育士になることができた。
最初は自分が思ったように話すことができず葛藤し、苦しむこともあったが「できないのも含めて今の私なんだ」と受け入れることにより吹っ切れて、コツコツと勉強をし続けた。
その甲斐あって滞在1年である程度は話せるようになり、コミュニケーションも円滑に取れるようになってきた。
ある日、母が私の住む土地バンクーバーに遊びにきた。
1週間に満たない短い日々だったが非常に充実して楽しい時間を過ごした。そんな中で以前滞在していたお家の家族にディナーに呼ばれ、母を伴って遊びに行った。
私は「母なら英語を話せるし私が特に頑張らなくてもいいだろう」と思っていたが、実際の様子は少し違った。
昔私が完璧だと思って憧れていた発音はなんとなくたどたどしく聞こえ、ところどころで「ここの言い回しが違うような」と思う部分もあった。
その一方で憧れであった母に対して、他者の英語に対してそんな風に思ってしまう自分も嫌だった。
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私の英語を始めるきっかけになった人であり、1番の目標であった母。
彼女を追い越すにはきっとあと20年はかかるだろうと思っていたのに思っていたよりも早く目標に到達してしまった。
空港での帰り際、母に「本当に英語がとても上手くなった」と言われた際には嬉しさよりも不安が勝った。
私は目標を何となく見失ってしまった今どうすればいいんだろうと。
その思いを友人に話すと彼女は「でもそれって両者共にすごいんじゃない?りたは目標であったお母さんを短期間で超えたのもあるけど、お母さんは日本にずっと住んでるのにネイティブと対等に話せるくらいの英語力を30年近く保ち続けてるってことだよ?」と言われ目から鱗だった。
私がずっと追い続けていた背中は追い越してしまったけれど、この先の人生はまだまだ長い。
今度は私が得た英語力をどこまで温存できるかだ。
私も母のようにこの先の人生も、倦まず弛まず屈せず英語学習を続けていきたい。