私はあの頃、すごく焦っていた。25歳という節目をすごく重く感じていた。
何者でもない自分が恥ずかしくて、高校生の私が見たら怒るのかな呆れるのかな。
誇れる自分になりたい。胸張って真っ直ぐ前を向いて進んでいきたい。
そう思っていた。

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大学在学中に私はやりたいことが見つけられなかった。
違う。正確に言えば、初めから諦めて挑戦しなかった。挑戦して失敗するのが怖かった。
進みたい道がわからず、縁があった会社にとりあえず入社した。入社してからは真面目に仕事に取り組んで、資格もたくさん取得した。
私の負けず嫌いが良い方向に動いた気がした。

そんな入社2年目の秋頃、入社してから走り続けていた私は学生の頃からずっと心に引っ掛かりがあった「海外・留学」という言葉とちゃんと向き合うために立ち止まった。
なぜこんなにも心に引っ掛かる言葉なのだろう。「憧れ」というものなのか。
わからない。わからなくて苦しかった。
私は海外に行きたいのだろうか。留学がしたいのか。留学をして何を学びたいのか。
本当に行きたいなら私の性格上、理由など考える前にとっくに行動しているはずだ。
ずっと心に居るのに重い腰が上がらない。

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これを機に今までの自分とちゃんと向き合ってみることにした。その「憧れ」の言葉に初めて出会ったのは14歳だった。
ある日、中学生の私はぽろっとその言葉を口にした。

「世界ってどれくらい広いのかな。私も行きたいな」

それを覚えていてくれた両親は私が16歳の時にアメリカのカリフォルニア州にある大学に短期留学をさせてくれた。初めての海外、初めてのホームステイ。
全てが初めてで、何も上手く行かず、自分の思っていることを伝えられないことが悔しくて毎日泣きながら勉強した。

私はきっとあの頃の思いを、気持ちを今も引きずっている。
10年経っても忘れられないほど、衝撃的で楽しくて悔しかった。
あの頃の気持ちを言い訳にしていろんなことから逃げている気がする。

「海外・留学」という憧れを諦めた訳ではない。悩んだ末、ずっと興味があった大手の会社に応募してみることにした。
もし内定がもらえたら、その会社で社会人として色々と学びたい。色々な選択ができる会社だと思ったから。もしダメだったら留学をしようと思った。留学をする理由は行ってから考えよう。

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転職は上手くいき、無事に内定がもらえたからこの道に進むことにした。
せっかくのチャンスを無駄にはしたくないし、そういう運命だと思った。
2024年夏、会社の夏期休暇制度を使ってフィリピンのセブ島に1人プチ留学をすることにした。セブ島での1週間は想像してなかったほど夢のように楽しかった。
授業以外の時間は1人で過ごす予定だったから、1人で静かな旅になると思っていたから。

私はセブ島でたくさんの素敵な人に出会い、世界はとても広いなと思った。みんな夢を持って目をキラキラさせていた。

自分がどう進めば良いか悩んでいるから来たと言う人もいた。素敵な文章を書いて、賞を貰っている人もいた。日本での安定した仕事を夫婦で退職して、勉強しに来た人もいた。長期留学の前に、英語を少しでも伸ばしたいから来たという人もいた。
それぞれ違う人生を歩んできて、違うものを持っていて、そんな方々と1週間でも関われたことが、その方々の人生の一部に交われたことが本当に嬉しい。

素敵だと思った、惹かれた方々の人生の一部に交われるなんて、なんて幸せなことなんだろう。いつか私も「この人素敵だな、この人惹かれるな」と思ってもらえる人になりたい。何かの節々に思い出してもらえる人になりたい。

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私はこれから先も挑戦し続けるだろう。たくさんのことに悩んで、また前に進むだろう。
私はどんな30歳になっているのだろうか。
不安はない。きっと私なら乗り越えられるから。自分を信じられるから。

悩んで、落ち込みそうになったときは自分にこう言い聞かせる。

「私は大丈夫なの。なぜなら、私は世界がとても広いことを知っているし、世界のどこかには私の味方になってくれる人が必ずいるから」

「It's Ok. I'm fine. Because I know the world is so wide, and there are always people in the world who are on my side.」

これが私の「憧れ」の先にあったもの。