友人が亡くなった。
熱中症だったという。
来週マラソンに出るのだ、という話を、いつものメンバーで飲みながら聞いたばかりだった。そのマラソンで無理をして倒れ、そのまま亡くなってしまったそうだ。
彼もわたしもまだ大学生だった。
わたしが経験したことのある「死」は自分の祖父母くらいのもので、自分と同年代の友人が亡くなるなんて、想像すらしたことがなかった。
彼とはイベントで知り合い、気が合った5〜6人でその後も集まっていた。彼との接点はその飲み会だけだったので、彼が亡くなった後も、わたしの生活はそれほど変わらなかった。お葬式ははるか遠くの県にある彼の実家の近くで行われたので、行くことができなかった。
彼が亡くなったという事実は、それを知らせてくださったご家族からのLINEの文面を読み返すことでしか、実感を伴わなかった。
◎ ◎
「お墓参りに行こう」という友人の提案に、すぐに賛成した。彼がもういないことを、わたしたちの誰もが本当には理解していなかったと思う。もちろんお墓参りさせてもらいたい気持ちは嘘ではなかったが、お墓を見れば整理がつくのではないかと思った。
飛行機と陸路で半日ほどかかる彼のお墓までみんなで行き、ご家族に案内してもらえることになった。
初めて訪れる街。友人が運転する車窓から見えるお店も、道に生えている木も、お墓に添えられているお花も、見知ったものとは違う。
真新しいお墓は、彼が入るために建てたもののようだった。その後に彼の祖母が亡くなったらしく、墓石には2人分の名前が書いてあった。
案内いただいた後、ご家族に誘っていただき、彼のご実家にお邪魔した。
お家はそれほど新しいわけではないのだろうが、綺麗にお掃除されていて、物も少なくて、丁寧に暮らしていることが感じられた。
物の少ない中に飾られた彼の元気そうな写真が大きな存在感を放っていた。
◎ ◎
「もしよければ、生前のお話を聞かせてもらえませんか。あの子とはどうやって知り合ったんですか」
小柄で優しそうなお母さんは、わたしたちにお茶を出してくれ、ソファに座るとそう言った。
こうして訪ねてくれる彼の友人と、彼の話をするのが楽しみなのだそうだ。
わたしたちは、お母さんに彼の話をした。どうやって知り合ったか。初めて会った時の彼のちょっとした失敗談。彼がみんなのマスコットみたいな存在であること。わたしたちがする彼の話で、お母さんは笑い転げていた。
「あー、おかしい。あの子らしいわ」
そう言うお母さんは本当にうれしそうだった。
いつの間にか彼のお父さんも仕事から帰宅して、一緒に夕食を食べないかと誘われた。ぜひ、と言うと、その街にはたくさんある地元のチェーンらしきイタリアンに連れて行ってくれた。
お父さんは彼にそっくりだった。優しそうな顔で、にこやかで、ちょっと照れたように笑う。少し天然なところも、とてもよく似ている。
お父さんお母さんとピザを分け合いながら、また彼の話で盛り上がった。
◎ ◎
隣町にあるホテルに向かう高速道路の入り口まで見送ってもらったあと、今日の待ち合わせのために連絡先を交換していたお母さんからラインが届いた。
「今日は遠くまで来てくれてありがとう。あの子が亡くなってから、あんなに楽しくあの子の話ができたのは初めてです。もうひとつの実家だと思って、いつでも遊びに来てくださいね」
今日直接お会いしてよくわかった、優しいお人柄が出ているその文章に、わたしは泣きそうになった。
ホテルに向かう車の中で読み上げると、みんな無言になって、しばらくしてから「いいご家族だね」と誰かがポツリと言った。
彼が生まれ育った街。
彼がいなければ、行くことはなかったであろう街。
彼に会うことはもうできなくても、その街の名前を聞けば、彼とそのご家族のことを思い出し、ご家族が健康に暮らしていることを祈る。
またいつかあの街で、彼の話を笑いながらできますようにと願って。