私の名字は地元では比較的珍しいもので、学生時代から大人になるまでの期間親戚以外で同じ姓の人に出会った事はない。
その事もあってか、よく「どこ出身なの?」と尋ねられる。特に年配の方はこちらが地元です、と伝えた後も「お父さんの地元はどこ?」と掘り下げて尋ねられるので(なんで面識のないあなたにそこまで教えなきゃいけないのよ)といらっとしてしまう事も少なくない。
相手に悪気がない事は分かっているのだけど、私的な事までずけずけと尋ねられると良い気はしないしどうしても閉口してしまう。
小さな頃からそれが当たり前だったから、「もし結婚するとしたら地元で浮かない名前になりたい」と思っていた。「人と違わないこと」が何よりも大事だった学生時代の私にとって自分の名字は自分でどうする事も出来ない厄介な障害物で、嫌いになっていた。
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そんな大嫌いだった名字が変わったのはつい数年前。私自身が結婚したと言う訳ではなく家庭の都合で「変えなくてもいいけど、名字を変えられるなら」と軽い気持ちで変更の手続きを取った。
裁判所で許可をもらい、役所の戸籍課や銀行、免許センターなど色々な行政機関へと出向いて書類を記入しそれぞれの場所で提出する為に戸籍謄本も取得し、印鑑も購入。
自分で望んだ事とはいえ、時間も割かなければならないしお金もそれなりにかかるので「多くの女性はこんなに大変なことを、自分が望んでもいないのにしなければならないなんて。不公平じゃないの?」とモヤモヤとした感情も少なからず湧いた。
新しい名字を名乗れる喜びもあったものの、女性が押し付けられている義務に違和感を感じずにはいられなかった。
日本は「名字=家、家族で大切に受けつがれていくべきもの」「女性が変えるもの」という考え方が強く残っているからこそ、私の姓に対して「地元の人じゃないんでしょ?」と尋ねてくる人が多かったのだろうし、父の出身地についてこだわって聞いてきたのだと思う。
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名字が変わって以降、今までのような質問攻めにあう事もなくなった。新しい姓は地元でも多いオーソドックスな名前だったからだ。ただそれだけで日常の小さなストレスがだいぶ減ったように感じる。
誰にも自分のプライベートな事情を詮索されなくて良いというのは思っていた以上に気持ちが楽だ。ただ、今後私が結婚することになってまた姓が変わる、となった時にまたあの一連の手続きをしなければならないのか、と想像するとどうしても気持ちが重くなってしまう。
自分の姓に思い入れがあるという人もたくさんいるはずだ。夫婦同姓の法律が結婚の足枷になっているというのは男女平等が言われて久しい令和の世の中でどうなんだろうと感じる。
女性側がこなして当たり前の事を男性がしただけで称賛される家事や育児と同様に、「理解があって素晴らしい人ね」なんて姓が変わった女性に声をかける人を見た事がない。
別に別姓が原則でなくてもいい、多様な選択肢があってこそ本当のインクルーシブ社会と名乗れるんじゃないのかと自分の意思で名字が変わった人間の一人として思わずにはいられないのだ。