母は「生きていた者」の気配がわかるそうなのだが、私は全くわからない。そして、わからないからこそ怖い。
母曰く、母は自分や周りの生きている者とそうではない者の境界が曖昧らしい。要するに、区別がついていないからこそわかる、というような言い分だった。
私はわからないが故にわかる人の言うことは素直に信じている。過度に怖がられたり、疑われたり、腫れ物扱いされたりするとやっかいなので、わかる人はわかる人にしかそういう話をしないらしいのだが、私は否定しないので母は何かと話してくれていた。
しかし、「生きていた者」は自分の存在がわかる人がいると、「この人、私のことがわかるんだ!」と喜んで付いてきてしまうそうなので、「生きていた者」が去った後に話を聞かされていた。
うっかり生きている者だと思って「倉庫の電気消しますよ」と声をかけてしまって、職場から家まで付いてきてしまったという話を聞いた時は心底びびった。後日、お参りした神社に置いてきたそうで、お別れを済ませてから話を聞かされた。
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そんな母は「生きている人間が一番怖い」と言う。生きている人間は危害を加えることができるからという論理的な理由だった。
同じ種族を殺す動物は地球上に人間しかいないとも聞く。動物は縄張りや交尾相手をめぐる争いでも、戦いはしても殺しまではしないそうだ。
それらを踏まえつつ、ニュースを眺めていると母の理論は確かに一理ある。特に近年は無差別な殺人事件が増えた気がする。
私が子供の頃、宮城県仙台市のアーケード街をトラックで暴走するという無差別殺人事件が起きた。当時大々的に報道されていたのをテレビで見て、犯行内容に対し「どうやって生きていたらこんなことが思いつくんだろう」と子供の私は素直に思い、母にそう言った。
母がどういうことを言ったのかは覚えていないのだが、私が言ったことに対して母がなんとも言えない微妙な表情をしていたことを強く覚えている。
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あれから何年経っただろうか。社会の荒波に揉まれる前に、家族という社会で揉まれ、社会に出てもうまくいかず、家を離れ、家族と物理的に離れても、前進しているのか後退しているのかわからず、にっちもさっちもいかない。
心身ともに体調は安定せず、一向に社会復帰はできそうになく、通帳の残高が減りゆく日々。日本の福祉制度は基本的に家族に扶養される前提で成り立っているようで、私のように家族に頼れない者は想定されていないように思える。
人生が順調に詰みはじめてきた。ふと、このまま死ぬのも癪だから、最後になんかでかいことやって、めちゃくちゃやってから死ぬかなという考えがよぎった。
そうして、あぁ私は「どうやって生きていたらこんなこと思いつくんだろう」の思いついた側になってしまったと悲しくなった。
生きていたら辛いこととかがたくさんあって、時には「このまま死ぬくらいなら」とか、「どうせ死ぬなら死ぬ前に」とか思ってしまうこともあるだろう。実行したら話は変わるが、追い詰められてそう思うのは多分、自然なことで、頭の中でどんなことを思うのも自由だ。母のなんとも言えないあの表情は多分、そういうことだったのかなと思った。
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今は理性と倫理観、その他諸々で、何を考えているのだとセルフツッコミを入れられているが、もはやそういうことを思いついてしまう己が恐ろしい。
仕事や家族、恋人、友人、お金など、もう失うものなど何もなくなって犯罪を起こすことにためらいがなくなる人のことをネットスラングで「無敵の人」と言う。でも味方が誰もいないという状態としては「無敵」ではなく「全員が敵」である。
「無敵」って本来は素敵な言葉のはずだ。自分を「無敵の人」と称するとやばい、これはいかんと思ってしまうが、「無敵の私」と称すと、なんだか強そうでいい感じだ。「無敵の馬須川」とペンネームに無敵を冠するとまるでベストセラー作家のようでもある。
無敵、つまり敵がいないということは心強い味方がいるということだと思う。恐ろしいことを思いついてしまった自分も自分だと受け入れて、まずは自分が一番の自分の味方になれるようになりたい。