人前に立つ仕事がしたい
歌手、俳優、配信者、タレント……。
とにかくなんでもよかった

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まだ周りはほとんど言葉を話せていないのに、前日に見たコントを丸暗記して保育園の先生に披露し爆笑をかっさらっていた1歳半の私。

保育園の先生がみんなが可愛がってくれて、他の保護者がみても贔屓しているのがひと目でわかるほどだった。

大人がキャッキャわらってくれるのがただただうれしくて、毎日何かしら披露しに行っていた。

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あの感覚がとにかく忘れられなくて、小学5年生で合唱団に入ることになる。
私が入団した当時は、小学5年生から中学2年生まで総勢25〜30名程の団員がいた。
周りは5〜7年ぐらい稽古を積んでいる大先輩ばかりで、1番下っ端の私は負けないように稽古中も日常生活の中でも必死で練習した。

そしたら入団して半年で定期演奏会でソロパートを総ナメするほどに上達した。
先生たちはめちゃくちゃ褒めてくれたけど、他の生徒や保護者はあまりよく思わなかったようであっという間に孤立。

母がそれを先生に相談すると、だって朝美さんお休みばっかりするからしょうがないでしょう?とのこと。
私は1度だって休まず稽古へ行っていたのに、先生にまで裏切られた。

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高校生になりコーラス部と迷った挙句、友達に押しに押されて結局演劇部に入部した。
合唱団でトラウマのある私は裏方希望だったが当時の部長と友達が勧めてくれて、役者としてオーディションを受けた。
1年生で受かったのは私だけだった。まぁまぁな大役。
私は練習に必死で気が付かなかったが、友達は良く思わなかったらしい。
ゆっくり1年かけて孤立していった。

それならプロになろうと、私が通っていた高校にイベントで来てくれた劇団に入団させてくださいと直談判して卒業後単身大阪へでてきた。

プロの世界ならさすがにそんな面倒臭いことはないだろうと思ったが、甘かった。

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初舞台で女先輩から全ての雑用を押し付けられ、それをこなしている間にセリフが変更したらしく、それを知らされぬままお客さんの前で恥をかかされた。

悔しくて廊下で泣いている私を、その舞台の監督をしてくれていた人がみつけてくれた。
事情を聞いた監督は、なぜ早く相談しなかったのと慰めてくれて、

あと15分で舞台が始まるからそれまでに何とか仕返し考えてやり返してやれ。
あなたが頑張ってたのはちゃんと見てたし、出来る子だから自信もって舞台に出てきなさい。
でも、こういうのは次から早く相談すること、なんのために俺たち裏方がいると思ってるのさ。

そう言って持っていたお弁当を私にくれて何も食べないままその人は私の雑用を全て15分で片付けてくれた。
与えられた15分で考えた返しで、私はその日誰よりも笑いを起こすことが出来た。

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女先輩は正直ほんとに心の底から嫌いだった。
まぁとにかく意味わからないタイミングで泣き出して、稽古を止めて、私が代役でリハーサルをやって、でも本番は結局その女先輩が出演する。
その繰り返しが嫌になって辞めてしまった。

たくさんの人から劇団変えたらもっと伸びるよ!辞めないで!勿体ない!私はあなたの芝居大好きって沢山言って貰えた。
でももう心が限界だった。

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憧れとは、キラキラしている。
でもその憧れの世界に入った途端、そこはただの現実になる。
その中にキラキラしたものは、はっきり言ってほぼないと私は思っている。
そこへ心を強く持って踏ん張れる人のみが、また誰かの憧れになるのだろう。

卑屈で何者でもない私は……私には無理なのだ。

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だが彼、彼女らは私の人生に大きな爪痕を残してくれた。

今まではただの傷だったものが、こうして文章を書くようになってそれがネタへと変わり、昇華されていく。

憧れは手に入らなかったし、誰かの憧れにも今のところなれていない。
これからもなるつもりは無い。

憧れが現実なのならば、私は私であって私の好きなように生きればいい。

それだけ。

ただ、それだけなのだ。