夏から秋へ、幾度のフェイントをかけた気候がようやく安定し始めたある日。渋谷駅からバスに乗り、とある書店にたどり着いた。衣替えのタイミングが分からず、慌ててクローゼットから引っ張り出したTシャツはしわくちゃ。若者の街に腑抜けた格好で来てしまったことも気にならないくらい、私は達成感で満ち溢れていた。なぜなら、これから人生初の「納品」をする。
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本を作った。初めて書いたエッセイ「20卒、仕事を辞めた。こんなはずじゃなかった」を中心に、仕事に関する5作品をまとめたエッセイ集だ。仕事を辞めて、実家に帰って、再就職をした。結果として、心が潰れドロップアウトした新卒の頃から、社会に還っていく姿を描いた、回復記録のような作品ができた。
本の構成を決めるにあたって、これまで書いたエッセイの加筆修正を繰り返した。一度書いたものの修正は過去を追体験するようで、題材によっては気が進まない。
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5年前、これから先の人生を含めても1番と言ってしまっていいのではと思うほど疲弊していた頃に書いた作品。社会と関わる唯一の方法が、エッセイを書くことだった。友人はおろか家族にも言えなかったことを、顔も名前も知らない誰かになら聞いてほしかった。ほんの少しずつ自分を取り戻してきたけれど、「元通り」には絶対にならなかった。歪んだ性格とともに、この5年を生き延びてきた。
読むだけでも体力がいるエッセイを、あの頃を思い出しながら、修正を繰り返す。体に毒な作業だと思う。
されど、闇にのまれることはなかった。ふいにその瞬間が訪れたのだ。
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突然思った。もう、飽きた。被害者の顔をするのに疲れた。この5年間ずっと、「ドロップアウト後」を過ごしてきた。よい表現ではないが、「戦後」と同じ用法で「ドロップアウト後」。できごとは終わったはずなのに、できごとにより蹂躙されたものを再構築するために、果てしのない時間が必要だった。
「もはや戦後ではない」とは、第二次世界大戦から10年後の流行語だという。それと同じように、私も5年間の軌跡をもって、今回の本作りをもって、「ドロップアウト後」を終えたのだ。
加筆修正が終わると、朝昼晩と製本漬けの日々を過ごした。重石を置かれた本をみて、読んでいた本を閉じた瞬間の寂しさに似た感情を覚えた。本の世界の登場人物は、顔をあげた現実にはいない。今ここに生きている私と、本の中のできごとに確かな隔たりを感じた。
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「あの経験があったから」なんてことは、口が裂けても言ってやらねえと思っていた。だけど、涙で顔をグシャグシャにした夜を、本を作ったことで物語の「起」にできた。今は、ネタになってくれてありがとうくらいは思えている。これが、私なりの乗り越え方。
納品を終えて店を出ると、久しぶりに作業に追われない週末。ランチでも食べて帰ろうかと歩き出す視線の先に、秋晴れが広がっていた。