長時間ドライブの時は必ずコンビニで干し梅を買う。もともと梅が好きだというのもあるが、眠気覚ましになるし、酔い止めにもなるからだ。
ジッパー付きの袋を開けて干し梅のにおいを嗅ぐと、小学生だった頃を思い出す。
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小学4年生の頃、私は2週間ほど大きな病院に入院した。毎日点滴をしても高熱が下がらず、家の近所の小さな診療所では手に負えなくなっていた。
小学校中学年とはいえ、かなり心細かったことを覚えている。親が毎日一緒に泊まってくれるわけではない。原因もいつまで経ってもわからない。入院する2週間前くらいから高熱がずっと続いているわけで、体力も気力もすっかり落ちていた。身体のしんどさと得体の知れない不安が私を追い詰めた。
入院生活での唯一の刺激と言えば、ご飯である。点滴につながれて動けない中、決まった時間に運ばれてくるご飯だけが時間の経過を感じさせてくれた。ご飯の時間を待つことでどうにかこうにか1日1日をやり過ごした。
しかしこのご飯、不味い。入院中のご飯だからやわらかいんだよ、味が薄めにつけられているんだよ、という言葉ではカバーできない。
後から知ったのだが、実はこの病院は病院食が不味いことで有名だった。とは言っても、入院したときはご飯のことなんて考える余裕はなかったし、ご飯に関してわがままも言っていられない。ご飯に関して文句を言う元気があったら入院なんてしていないのだ。確かにご飯は先の見えない入院生活に唯一時間の経過を知らせてくれるものだったけど、決して楽しみな時間だったわけではなかった。
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入院中はご飯すらも薬と言われる。さらに私は「出されたものは残さず食べる」という教育が染みついており、なにより真面目な性格だった。
特に大変だったのは白米。言葉にできない微妙なやわらかさ。そして量は多い。そのまま無の感情で胃に流し込むにはあまりにも苦行だった。わがままは言っていられないと思いつつも、これが1日3回繰り返されると思うと気が滅入った。
入院している高齢者が看護師にわがままを言って困らせている姿は何回も目にしたけど、ちょっと気持ちがわかるような気もした。
そんな私を見かねて、母が病院の売店で干し梅を買ってきてくれた。小さな売店で、普通の梅干しは売っていなかったという。
干し梅をご飯に乗せて頬張った。革命的だった。干し梅がやわらかご飯の水分を吸い、干し梅自体もやわらかくなる。水分の多い梅干しならご飯とともに流されてしまうが、干し梅なら少しずつかじることができ、少量の干し梅で大量のご飯が食べられる。
高熱で大量の汗をかいていたので、干し梅のしょっぱさも身に染みておいしかった。干し梅があの頃の私を支えていたと言っても過言ではない。
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大人になった今、干し梅のにおいを嗅ぐ度に小学生だった自分の心細さや、健康であることがどれだけ大切であるかを思い知った瞬間を思い出す。健康のありがたさ、ご飯をおいしく食べられる幸せを干し梅とともに噛み締める。