私がいつも思うこと、これは自分にも言えることだけど、今の若者には情熱という心が凄く見えづらいと感じる。

例えば、部活動で絶対に優勝してやるとか絶対にレギュラーを取ってみせるみたいな、そういう気持ちが何だか目に映らない。誰かと比較して落ち込む言葉よりも、誰かと自分を比較して敢えて自分に保険をかけるように、自分で自分を傷つけている言葉の方が多い気がする。

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自分の容姿、性格、学歴、職歴、そういう全てが傷つけられるのを怖がりつつも認めて欲しいという承認欲求は高いように見える。こう感じているのが私だけだったら私自身の問題かもしれないが、何だかそれでは腑に落ちない。

でも検索すると、Z世代はメンタルが弱いとか今の若者は根性がない等の言葉に比例して、若者が精神疾患を抱えている人は著しく増加している。私もZ世代だけど、別に友達もメンタルが弱いとは思ったことはないし、言われる程努力してないとも思えない。寧ろ自分に負荷がかかり、抜け出せなくなって心を痛める人の方が多い。

じゃあどうしてこういう人達の言葉が出てこないのか。これからの内容は、全て私の憶測だ。そして、どんな事もこれに当てはまる訳ではないので異論は受け付けるが、まずは一度読んで欲しい。

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1つは、今の日本は高齢化社会であり、若者と高齢者の価値観のギャップが大きすぎる。また人は群れれば群れる程自分たちの過ごしやすい様に理を変えていくものだ。例えば、これは私の経験だが、職場でいつも私に嫌がらせをするのは決まって私よりも年上の先輩だった。

若いんだからもっと働けとか今の若い子は使えないなと、職種問わず固まって話していた。同世代同士で虐めるよりも先輩たちから虐められる方が多い気がする、それはこの辛い環境でもなんとか頑張っていこうねと、たとえ最初は不仲でも辛い環境程同世代同士の結束は強くなるからだ。

じゃあこれに繋げて二つ目は、辛い環境とは実際にどういうモノなのか。世は人が作り出した苦悩なのか、自然に作り出される苦悩なのか、それが肝だと私は思う。どういうことか分かりやすく言えば、人が作り出したモノ、例えばあの先輩に怒られたらどうしようとか、あの人に何か言われたら嫌だななど、そう考える程自分のしたい様に出来なくなることでストレスがかかる。

後は、この先輩に気に入られればこの会社では嫌な事されずに済むや本当はやりたくないけど断ったら何されるか分からないみたいな、多分どんどん出てくると思うけどこんな感じ。

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では自然な苦悩とは、それは何かに対して努力すること。単純に頑張ることだ。ニュアンスが伝わっているのか不安だが、何が言いたいかと言うと、努力すること一生懸命頑張ることはどの世界でも共通な苦悩だ。しかし、誰かが作り出した苦悩とは、世は割合が多い人が群れて自分たちが楽できる様に、下の者に苦悩を押し付けているということ。

勿論、成長するためにあえてというのもあるかもしれないが、そういった些細な違いは論点がずれるため、ざっくりとした感じで読んで欲しい。普通に考えて、後者が多い世界で人は頑張りたいと思うだろうか。

今は社畜というワードをインスタやテイックトックで検索すればヒットする数は多い。もし、人が自分のやりたいことに目を向けそれに対して努力していたら、自分を馬車馬の様に働かされているなどと思うだろうか。

少なくともやりたくて始めた部活で、朝も夜も練習していた時はそんな風に思ったことはなかった。部活と仕事は違うかもしれないが、部活動が必須になっているのは文武両道もあるが社会性を身に付けるためでもある。

ならそこで身に付けた社会性は、先輩達から怒られないようにするすべを学ぶためのモノだったのか。私は、そうは思わない。ある程度人との関わりは習得できるけど、一番大切なのは掴みたいモノややりたいことに対して必死に努力すること、失敗してもめげずに立ち向かうことを私は学んだ。別にそれを学べる機会は部活動だけではない、勉強や習い事若しくは全く違った何かでも構わない。大事なのはそこではないから。

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最初に戻るが、若者の情熱心は無くなった訳でもメンタルが弱い訳でもない。抑圧された環境下で若者の言葉が届いていないだけだ。私も含めて、心を壊しながらも皆必死に頑張っているではないか。社畜と言わず、勝者と言ってもいいくらいだよ。劣悪な環境でも必死に生き抜いているのだから。

繊細さも薄汚れた世界で輝ける素敵な個性だ、傷つきやすいのではなく素直に相手の言葉を受けとめているんだ。ネガティブワードをポジティブワードに変えて、自分を傷つけるのではなく自分自身を抱きしめてあげることが、今の私達に一番足りないモノかな。