「チナ!チナ!」

町を歩くと好奇心の目でよくこうやって声をかけられる。それは私がこの土地では珍しいアジア人であって、ひとり旅してる女であって、若い外国人だからかもしれない。大学を休学し、20代の始まりはゆるく世界一周しようと決め、現在ラテンアメリカを周遊している。

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日本の裏側の大陸に降り立ったわけだが、やはりアジア周辺国の旅と比べ、圧倒的に黄色人種の人を見かけることが少ない。アジア旅だと、世界めがけて飛び込んだ同じような若者たちがごろごろいた。ラテンアメリカで巡り合わせた旅人は、携帯がなかった時代を旅してきた、自分よりひと回りふた回り歳上のベテランばかりだった。

けれど我々黄色人種が全く居ないかというとそうでもない。「チナ」というのは中国人に対する呼称である。旅をすると、中国からの人やモノがいかに世界の隅にまで渡っているかが解る。パナマの小売は中華人が営んでるし、コロンビアのスーパーには中国産の魚が売ってるし、安価な服や機械の多くがはるばる中国から来ている。世界の多くの人にとって1番身近な黄色アジアは、「チナ」で間違いないと思う。中国はまさしく世界の工場にふさわしい。

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では、「ジャパニーズ」はどう見られるのか。

これも日本の外に出てみて初めて実感したが、日本の認知度とブランド力は世界中で通用する。私は「チナ!」と声をかけられると、「ジャパニーズだよ」と訂正する。すると多くの人は我が国を、夢の国のように褒め称えてくれる。
いい国だよね、技術がすごい、ご飯が美味しい、街がきれいだ、日本のアニメが大好きだよ、コンニチハ……

同じように豊かな国の人は、いつか訪れたいと熱弁し、貧しい国の人は、いつか働きに行きたいと憧憬の目で夢を語ってくれる。外国での私はまず、「豊かな先進国ジャパン」から来たボンボン小娘として受け取られる。

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旅の醍醐味というのは、自分の立ち位置を俯瞰できるところにある。生まれた環境から外に出てみることで、初めて自分の環境を客観視できる。自分がいかに世界のほんのわずかな富裕層の割合にいるかが解り、いかにトップクラスで衛生と教育が整えられた日本での暮らしを当たり前のように享受してきたかが解る。

そもそも世界の多くの人にとって「生まれた環境から外に出てみる」ということ自体が叶わないのだ。家庭や経済状況、宗教や文化的背景、政治情勢などが多くの人の旅を阻む。実際旅先で、そうした旅したくても出来ない多くの若者たちと出会ってきた。女として、働き盛りの若者として、自分で稼いだお金を自分のために使い、自由に旅ができる私は、非常に稀有である。

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私は旅先で何気ない人々の日常を眺めるのが好きだ。その異国空間で営まれる人々の暮らしを見ている時、私は同時に自身のイレモノについて考える。広い広い世界のなかで「ジャパン」は地理的や社会的にどんな立ち位置にあるのか。本当にたくさんの人種と民族が生きる世界のなかで、「ジャパニーズ」というラベルはどんな可能性をもっているのか。

自分の立場性を理解し、自身の“イレモノ”の型を外からた時、初めてその“イレモノ”の中に入れるべき“モノ”が解るのだと思う。△のイレモノに◯のモノは入らないし、あなたの何処かに磁性がある箇所があるのなら、それに引き合うモノを探した方がいい。私は未だ自分を捉えることに精一杯で、旅をしていてもぼんやりしていることが多い。それでも旅という経験が自身の何かしらの糧となり、自分の輪郭が掴めるようになることを信じてやまない。