ペンネームこそ奇抜だが、本名の名字はごくありふれた名字である。名前もありふれた名前で、世代の割には古風な、いわゆるシワシワネームに該当する。フルネームで検索をかけるとフェイスブックなどでたくさんヒットし、漢字は多少違えども同姓同名さんがかなりいることがわかる。ちなみにペンネームは「馬須川馬子」と書いて「ばすかわうまこ」と読む。
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かがみよかがみさんにエッセイを採用された際、家族にバレたくない一心でこのペンネームになった。ペンネームはいくつか候補があったのだが、無料の姓名判断でいちばん吉凶が悪くないペンネームにした。その流れで恋人と本名の姓名判断をすることになった。
私の本名の姓名判断は仕事運以外が大吉以上で、仕事運のみ大凶であった。仕事運に関しては休職を繰り返しているので異論はない。果てには恋人とお互いの名字を交換して判断していた。恋人の名字になった私の姓名判断は散々たるものだった。大凶のオンパレードである。もはや結婚したいとかしたくないとかの問題ではない。しかし、なぜかこちらは仕事運が大吉であった。何を得て何を捨てるか、悩ましいものだ。ちなみに恋人の結果は甲乙つけがたいものだった。無料の診断ではあるし、姓名判断の何をどこまで気にして信じるかは自分次第なのではあるが、大凶のオンパレードとわかっていて変えたいとはなかなか思えないのも現実である。
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姓名判断は赤ちゃんの名付けの際に参考にされることが多いようだ。しかし、「女の子はどうせ名字変わっちゃうし」と女の子はあまり画数を考えられずに名付けられることもしばしばだそうだ。女の子はどうせ名字変わっちゃうしと敬遠されるのは姓名判断だけではない。印鑑もそうではないだろうか。私は就職の際にちゃんとした印鑑でも作ろうかと思ったのだが、父親に「女は名字が変わるからなー」と言われて、作る気が失せてしまった。結婚願望の有無、兆しがあるとかないとかに関わらず、無駄になるかもしれないと思うとお金や労力をかけるのはためらってしまう。結局今も私は小学校の卒業記念の印鑑を使い続けている。デジタル化に伴うペーパーレスの推進で印鑑離れが増えていると思うのだが、こういう理由もあるのかなと思う。結婚で名字が変わったから新しい印鑑が必要だという印鑑需要と、結婚で名字が変わるかもしれないから作らないという作り控えとどちらが多いのだろう。
とにかく今の日本では女性は結婚で名字が変わるという大前提のもとに世の中が回っている。なぜか私は小学生くらいの子供の頃から自分のフルネームに愛着があった。ありふれたフルネームではあるが、画数が多くて書きづらいのが逆に愛おしく、画数の多さがかっこいいと子供心に思っていた。そんなわけで名字を変えなくていいようになったら結婚しようと考えていた。今も自分のフルネームに対する愛着は変わらないが、夫婦別姓を声高に訴えるほどの情熱はない。今のところそこまで結婚したいわけではないのが大きいのだろうが、子供の私の希望だと、相手の有無に関わらず、私はしばらく結婚できそうにない。
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先日、長らく連絡を取り合っていなかった友達からLINEが届いた。なんと結婚の報告だった。「結婚して○○(配偶者の名字)になりました」という文面に感じたことのない羨望を抱いた。名字が変わると、とても結婚しました感が出る。今までの姓名判断の結果がどうだとかフルネームへの愛着がどうのとかなんだったのだというくらい、なんかそれすごくいいなと痺れた。
結局、自分も女性の名字が変わるイコール結婚、結婚イコール女性の名字が変わるという固定観念から抜け出せてはいないのだろう。まぁ、そんな小難しいことはさておき、いやぁまじおめでとう、超おめでとうとLINEを読み進めると、転職したとも書いてあった。保険会社に。