「化学が面白い。もっと知りたい。学びたい!」

中学生の時にそう思っていたはずの私は、大学では機械工学科へ進み、この春に卒業したばかり。

元々文系脳の私は理系で苦しいことも多かったし、何度も化学へ戻ろうかと迷った。更には女子が1割にも満たない機械工学科で悩みは尽きなかった。

でも理系はとても面白い。私は理系を選んで良かった。

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幼少期から本が好きだった。初めて出会った小学校の図書室では毎日本を借り、絵本から雑学漫画、伝記、小説と、読む本のレベルを年齢と共に自然と上げていった。

そんな私が中学2年生の時化学に興味を持ち、理系に進むことを志した。

でも数学が苦手だった。小学5年生の算数から挫折し、中学生になってからも数学だけは赤点回避レベル。なんとか平均は取りたいと勉強するも叶うことはほとんどかった。

そこから猛勉強の末に、中学3年生の春には90点と、平均を優に超えた高得点を叩き出した。そこからはコツをつかんだのか、高校生の時には「あなたってまちがいなく理系だよね」と言われるまでになった。

加えて理系全般が好きになった私は、高校生になって宇宙への憧れが芽生えた。

大学の進路も理系、中でも宇宙の分野へ進みたいと思った。でも、天文学である物理学科は就職の心配を理由に諦めた。最終的には「作る側になればいいじゃん!」とロケットや人工衛星を知りたい思いから、機械工学科へ進んだ。

とは言うものの、就職のしやすさという母を安心させるための理由も少なからずあった。そんな母には「大丈夫なの?」と合格した時から入学してしばらくの間、何度も問い続けられた。

私は高校生の時も、大学生になってからもリケジョであることに誇りを持っていた。「選ばれし者」みたいな響きに何度も胸が高鳴った。

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そうして入学した大学の機械工学科は、中高と吹奏楽部のいわゆる女社会で育った私からすると、まるで別世界だった。女性の割合は1割にも満たない。教室はなんか男臭い。実習の部屋もどこか汚くて、うっかり何かに触ると手も服も汚れる、そんな場所だった。

それでもやりたいことをやろうと、ロケット開発をする宇宙ロケット部にも所属した。そうしてどんどんその魅力にハマっていったのだった。

ただ、男女比に長いこと悩まされた。やりたいことも力の関係でできなかったり、男性だけの輪に入れず疎外感を持っていた。それでも、機械工学の魅力が、所属する宇宙ロケット部の魅力が、私を動かしたんだと思う。

男ばかりのこの世界で、強く生きよう。
女性の少ない世界だけれど、ここで強く生きて女性もここで楽しく生きられることを示そう。女性も活躍できる環境を作ろう。

男性ばかりで馴染めなくて、興味あることも輪に馴染めずにできなくて、1年目は雑務ばかりやっていた。それに負けじと、ものづくりも広報活動も、とにかくなんでもやってまずは自分が活躍しようと思った。

そして私は副部長の座に着き、その年は「ここに女性も活躍していける環境を作るんだ」と新歓では女性を集め、心地よい環境作りにめた。

そうして男女比9:1の機械工学科で男女比1:1のサークルが生まれた。

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そして私の次の代からは、部活の運営も男女比1:1まで上げて、見事、女子も活躍できる環境を作ることができたと思う。さらには他学科の女性で機械科に転科する人も現れた。
さらに私個人は、大学公式HPの研究室紹介でインタビューを受けることになった。そこには今までの想いも葛藤も全部載せてもらえた。

最終的な進路としては、大学院を目指していたものの卒業研究中にエンジニアに向いてないことに気づき、文系就活するに至った。でも今も尚、この経験は私の中に強く刻まれている。

初めは私が生きやすい環境を作りたかっただけだった。でも、そこで芽生えた「男女関係なく活躍できる世界を作ること」という目標は自分がその第一人者になることで、そから生まれた「理系や機械科の魅力を伝えたい」という想いがいろんな形で実現された。
私はエンジニアには向いていないと理系へ進むことは諦めたが、いつかまた理系の世界に戻りたいと思う。それぐらい私は宇宙やロケット、そして理系の魅力に取り憑かれている。

だから今度は、その魅力をもっと多くの人に伝えたい。いや、伝える仕事をするんだ。そんな誓いと共に、理系で培った力を使って社会の中で生きていく。