「書くことで、生きていきたい」
子どもの頃抱いた夢の延長線上に、今の私はライターとして立っている。
とはいえ、とても細々としているし、足取りだって不安定だ。

でも、確かに歩くことができている。
1人では、決してここまで歩いてこれなかったと思う。
「やってみなよ」と背中を蹴飛ばしてくれた人の存在があったから、きっと私は今日も生きている。

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背中を蹴飛ばす、なんて言うとちょっと荒っぽいだろうか。普通は「背中を押す」と表現する所なのだろう。
ただ、私が初めてその夢をこっそり打ち明けたときから、「やればいいじゃん」と彼は何でもないことのように言った。私にとっては、夢を口にすることすら何だか憚られることだったのに。だからこそ彼に話そうとしたときも、うっすら緊張したものだった。

彼はその後も何かにつけ、「やったれやったれ」と私に発破をかけ続けた。
成功するか失敗するかなんて、どちらでもいい。ただ、やってみたいことがあるならやればいい。それが彼の言い分だった。
そして言った。「あなたは、最初に背中を蹴飛ばしさえすれば、そのあとは自力で走れる人でしょ」と。

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そう堂々と言い切れる根拠は何なのだろうと、未だに思う。
「根拠?あるよ。あなたには才能があるじゃん」とも彼は言う。彼の口から「才能」という言葉が出るたび、一体誰の話をしているのだろうと首を傾げたくなる。
自分に才能があるなんて、1ミリも思ったことがない。むしろ自分は空っぽで、豊かな文才やセンスにありふれた人に出会うたび、喉から手が出るほどその能力が欲しくなった。

とはいえ、彼の力強い言葉が私のエンジンになったのもまた確かだった。
根拠だとか理由だとか、そういう小難しいことを考えるのをやめるようになった。やりたいか、やりたくないか。私はいつからか、そんなシンプルな問いだけを自らに対して投げる人間になっていた。
蹴飛ばされた背中には追い風が吹き、その風力を動力源として私は今も走っている。

ただ、今度は私が彼の背中を蹴飛ばし返す番だ。

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人材派遣会社で営業の仕事をしていた彼は、本当はエンジニアになりたいようだったけれど、どこか諦めている節があった。

「実務経験がないと転職は難しいんだよ」

とはいえ彼は、数年前にプログラミングを独学で習得し、それからもコツコツと勉強を継続していた。知人に依頼されてホームページ制作を請け負ったりするほか、自社での業務効率化を図るためのツールを独自開発して、それを会社に持ち込んだりもした。社内協議の結果、実導入が決まったようだった。そしてこの実導入が、元々抱いていた夢におそらく火をつけたのだと思う。

程なくして彼は会社を辞め、転職活動に踏み切った。ただ退職後も、彼が開発したツールは社内で使い続けられることになったため、会社と正式に委託契約を交わした。ツールの保守・管理を続ける対価として、月額報酬もしっかりもらっている。私自身はIT分野のことはとんと疎いものの、彼はなかなかすごいことをやってのけているのではないかと思う。

ただ、彼も言っていたように、現場での実務経験がない中でのエンジニア転職はなかなか厳しいようだった。彼は果敢にチャレンジし続けたが、来る日も来る日も届くのは、不採用の連絡のみ。

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「やっぱりダメなのかな」
「向いてないのかな」

不安げに言葉を漏らす彼。普段は威勢がいいタイプなのに、その肩は日を追うごとに落ちていく。彼は業界の中でも特に未経験転職が難しいと言われている、開発系エンジニアを目指していた。
しかし私は「ダメじゃない」「向いてないなんてこと、ない」とひたすら隣で言い続けた。
彼が挫けないよう言葉をかけることしかできない自分が歯痒かったけれど、それでも私はどうしても諦めたくなかった。

本屋さんに行くたび、分厚い技術書を何冊も買い込む彼。家ではじっくりとそれらを読み込み、尋常じゃない集中力でPC画面と向かい合っている。時折がしゃがしゃと頭を掻きむしっている様子も見受けられたけれど、それでも彼は「楽しいんだよね」と言う。いくらでも勉強できる、何時間でもやっていられる、と。その目は、確かに子どもみたいにきらきらと輝いている。好きで好きでたまらない、そんな様子が全身からあふれ出ていた。

「やりたいことがある」これは立派な根拠だ。
だったらやりたいようにやればいい。彼から受け継いだそのスタンスで、私はずっと見守り続けた。それは、およそ2ヶ月間に及んだ。

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桜が散り終わった、4月の中頃だった。
目を大きく見開かせながら、スマホの画面を勢いよく突きつけてきた彼。そこには、これまで散々届いていたお祈りではなく「ぜひご一緒にお仕事できたら嬉しく思います」と書かれたメールが表示されていた。どちらからともなく、私たちは力強いハイタッチを交わした。

長らく苦しんできた彼だったけれど、開発系エンジニアになりたいという念願の夢を、ついに自力で掴み取ったのだ。
現場のレベルの高さに悪戦苦闘しているようではあるものの、キャリアチェンジを叶えたここ最近の彼はなんだかとても生き生きしているように見える。
「給料も高くないし、夜も遅いけど…ごめんね」
そうこぼす彼に対し、私は迷いなく首を振った。

やりたいことができる環境に身を置けている今の彼は、とびきり最高だと思う。
これからもお互い、好きなことを好きなようにやっていこうよ。自由な夫婦でいようよ。
それぞれの背中を、蹴飛ばし合いながらさ。