きよい、みず、と書いて、清水だ。連れ添って21年目。愛着があるのかないのか、考えたこともなかった。
何年後かの私が、新しい名字を授かるタイミングがあるとするなら、そのときは心置きなく〈清水〉を置いてゆけるのだろうか。
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教室のロッカー、一番端で、一番下を使っていたのは、難しい方のわたなべさんだった。「定期テストの時、人より時間かかるから嫌なんだよね〜」と休み時間に話す彼女は、ちょっと嬉しそうだった。
友人のしまぬきさんは、レストランの予約で電話をかける時、「島崎さん?ですか?」と必ず聞き返されるみたい。「友達の名前借りるか、やっぱできるだけ、ネットで予約したいんだよね」と不満を垂れつつ、なんだかニコニコしていた。
〈清水〉は画数も多くないし、名字ランキングによく上がるくらい、みんな慣れ親しんでいる。聞き返されることもないし、「同姓同名に会ったことある!」という報告も頂いた。
こんな名字にまつわる私の過去、漁ってみても、掘り返せるエピソードもないから、意外と軽々しく、捨てられるんじゃないだろうか。
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昔から、呼ばれているあだ名がある。「しみチョコ」を小学校2年生の時に授かった。
しみは清水のしみ、チョコは、私が夏休み中、プール三昧で日焼けして真っ黒になっていた始業式久しぶりの教室で、「チョコレートみたい!しみと合わせてしみチョコね!」という一声で決まった。
活発なクラスメイト1人から始まった〈しみチョコ〉という名は、すぐにクラスに広まり、担任の先生までも呼ぶようになった。
その年の運動会が終わって家に帰った時、父が目をキラキラさせて、手招きしてきた。「クラスで、しみチョコって呼ばれてるんだって?」「俺は昔、しみちょろって呼ばれていたんだよ」驚いた、たったの一文字違いじゃないか!!
全校朝礼でいつもジッと立っていられなかった父は、すぐ後ろのクラス委員の子に、「ちょろちょろ動かないで!もう〈しみちょろ〉って呼ぶからね!」とお叱りを受けたそうだ。
朝礼でジッと立っていられる私と、多動症で先生にも注意されていた父。元々地黒で、すぐ真っ黒になる私と、日焼けすると赤くなってお風呂で染みて、痛いと笑う父。私の地黒なところは母に似た。
こんなに違うエピソードなのに、たまたまあだ名が似ているなんて。
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小中高一貫の学校に通っていた私は、受験して中学から入ってきた外部生徒にも、新しい校舎で出会った先生にも、しみチョコと呼んでもらえるようになった。「なんでしみチョコなの?」と何度も聞かれ、何度も説明をしながら。
さん付けや下の名前で呼ばれたら、「しみチョコって呼んでよ」って言う自分がいた。一番気に入っているのは自分だ。
大学にもしみチョコと呼んでくれる数少ない友人たちがいる。小学校から高校まで呼ばれていたから呼んで欲しい。ずっと、しみチョコのままでいたい。
私がいつか結婚して、もし、旦那さんが名字を譲ってくれるなら?そして子供を産んだら清水の名は続いて、しみ○○が新たに誕生するかもしれない。
「ママはしみチョコで、ママのパパはしみちょろだったんだよ」なんていう会話は夢物語なのだろうか。
やっぱり清水捨てたくない。いつまでも、「しみチョコ」こと清水として、お気に入りのあだ名で呼んでくれる友人の傍にいたい。