自分で言うのもなんだが私の名字は格好良く、また東京では他にあまり同じ名字の人を見たことがないので割と人目を引くことが多かった。なんでも、ある色の文字が入っているのだがそれがクールで格好いいんだとか。そう言われてももう何年もこの名字で生きてきた私にとっては多少誇らしげな気持ちになったことは何度かあったもののしかし現実、ただそれだけの、所詮言ってしまえばその場限りの何秒かの世間話程度の話題性でしかない代物だ。
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ましてや長年に渡り虐待され何とか逃げ延びてきた私にとって、多少ではあるものの珍しい名字というものは誇らしいものでもなんでもなく、寧ろもし仮に最悪な事態になった時にこの名字のせいで親と遭遇してしまうのではないのかと、出来ることなら考えてはいけないような被害妄想をずっと私は頭の中でぐーるぐる、ごちゃごちゃと広げさせてしまっていて、言ってしまえば私にとっての名字というものは邪魔な重苦しい足枷以外のなんでもない、ただの"モノ"でしかなかった。
そんな中、今年の1月末にある男性と有り難い出会いがあり、穏やかでいて楽しい日常を積んで半年が過ぎた頃、その人の子供、養子になる案が会話の中にて浮上した。その人が養子にならないかと案を出してくれた理由としてはとても簡素で、私がほぼ毎日夢に親が出て来て私を捕まえに来る夢を見る、家から外へと出るのも入るのもいつも内心ビクついているのだと、鬱状態が酷い時に何度も何度も同じ内容を話していたからだと思う。
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『名字を変えて少しでも杏子ちゃんの為になるのなら』と、ただそれ一つだけの理由で父はこう言ってくれたのだ。勿論、この決定権は私にあって、だからこそ杏子ちゃんが嫌だと思うなら養子に入らなくても良いのだから僕はどちらでも構わないよとまで言ってくれた。
とてもとても優しい父。しかし裏を返せばただそれだけなのだ。
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私を自分の子に強くしたいという意味ではなく、あくまでも客観的な判断としての養子縁組の話なのだ。何故かというと、父には元妻さんとの間に一人娘がいて、聞いてみると娘さんとは地方に住んでいるので互いに会いもしないし連絡も互いにろくにしない。しかし血は繋がっている。仲も悪くない。そんな状態らしい。
だから私と父との関係は、戸籍関係なく(私としては)強くハッキリと父のことを"お父さん"だと思ってはいるものの父自身は私について本当の娘と、養子の娘で分けているのだとは思う。
こうやって書くとなんだか冷たく寂しい人だと捉えられてしまうかもしれないがそういう訳では一切ない。私が父と何度も日々を過ごしていく内に気づき、思うのは、恐らく父はとても利己的主義な人なのだ。人間関係についても生活面においても。
だから私のことは勿論娘だとは思っているだろうし、実際今一番誰よりも近いとこに居るのは私だとは思う。が、その気持ちとは別に実の娘が居る。その事実は当たり前に存在するものとして父の中にはただ有るのだと思う。……なんて書かれても多分読み手側には父と私の関係なんか上手く伝わってはいないだろうと書きながら思う。文章って難しいと痛感してしまう瞬間だ。
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でもそれはそれで良い。私と父だけが父との関係について知っていれば良いし、事実はどうあれ、私はコレからもハッキリと周りに最高の父だと当たり前のように自慢するのみなのだから。
だから恐らく私は書類上でも父の子供になる手続きをするとは思う。"とは思う"と断定が簡単に出来ない理由はこれまた複雑で、戸籍謄本についての問題があるからだ。普通の人には全く分からない問題なので軽くしか書かないけれど、この戸籍謄本というやつが今回のケースにおいて私を含め虐待されてきた子達にはとても厄介な記録なのだ。親の戸籍から除籍し自身の新戸籍を作ろうとしたとしても実親との縁は切っても切れない腹の立つ理由がそこにはふんだんに練り込まれていたりする。長くなるので割愛するけれど。
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それでも私は父の養子になると思う。どうか父に迷惑やもしものことがないことを祈るばかりだけど、父の養子になって名字を変えることが出来たら私の夢に親たちが出ることもきっと、きっと少なくなるかもしれない。
何より堂々と父の名字を娘として名乗れるのはこの上なく幸せなことだと私は強く思う。
今は大好きな父親へのクリスマスプレゼントと親子での過ごし方についてうんうんと頭を楽しく悩ませている最中だ。ハッピーメリークリスマス。