20代後半のこの歳になって、人生初の引っ越しをすることになった。
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私は生まれてから今日までずっと、この家で暮らしてきた。
高校生から大学生になるときや大学生から社会人になるときなど、人生の節目で引っ越しをする人は多いのかもしれないが、私はわざわざ引っ越さなくても学校や会社に通うことができる距離に住んでいたこともあり、あえて実家を離れる必要もなかった。
だから多くの人が引っ越すであろうタイミングをことごとく逃し、それが残念だとも思わなかった。
生まれてからずっと慣れ親しんだこの場所での生活は、私にとって当たり前でありこの先も続いていくのだろうと漠然と思っていたのだ。
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それは突然やってきた。
引っ越すという選択肢が、私の頭の中に突如湧いてきたのだ。
家族とともに20数年生活してきた中で感じる感謝の気持ちとともに、いつまでも自立せずに同じ場所に留まり続けることにうっとおしさを感じるようになった。
両親にとって私は大人になろうともいつまでも子どもであり、だからこそ大切にしてくれていると感じるけれど、同時にずっとここに居ては自由になれないと考えるようになった。
そう思ってしまうと身体は正直で、今まで当たり前であったこの生活に居心地の悪さを感じるようになったのだ。
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その正直さに逆らうことはできず、人生初の引っ越しをするための準備をはじめた。
初めての物件探し、初めての不動産、初めての内見と初めて尽くしの日々が訪れた。
行動をはじめるととんとん拍子でことが進み、ついに引っ越し先が決まった。
あまりにもスムーズすぎて少しばかり怖さもあったが、これで私は自由になれるとも思った。
安心できる場所で、世話を焼いてくれる家族がいて、私はいつも誰かや何かに守られてきた。だけど、私はその当たり前を手放して自由になるのだ。
生まれてからずっと変わらなかった慣れ親しんだ毎日を手放すのだ。
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初めての引っ越しが決まったとき、私は思ったよりも寂しくはなかった。
引っ越すからといって一生家族に会えないわけではないし、それに母に引っ越すことを伝えたときはとてもあっけらかんとしていて、ただの日常の延長線に過ぎないのだと思ったからだ。
でも、いつも寡黙な父に引っ越すことを話した時、父はぽつりと一言「寂しくなるね」と言った。
その言葉を聞いて、急に寂しさが込み上げてきて涙がでそうになった。
父の優しさに触れたからなのか、引っ越すということの実感が湧いてきたからなのか分からないが、ものすごく寂しい。
ずっと逃してきたタイミングが今なのだと自立することを決めて、今ある安心できる場所から旅立って自由になることを心から望んでいた。
望んでいたからこそ素直に行動したのだし、思いが現実になろうとしている。
だけれども、いざこの場所を離れることになると思うと、どうしようもなく寂しさが込みが込み上げてくるのだ。
自由になるということは、こんなにも痛みがともなうのかと。
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誰しも初めて引っ越しをしたときは、こんな気持ちになるのだろうか。
そうだとするならば、その経験を乗り越えてきた人たちは大きく成長しているのだろう。
当たり前だった生活を手放して手に入れる自由は、一体どんな世界なのだろうか。
今の私にはまだ全然想像もできない。
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この寂しさを乗り越えて、新しい当たり前の生活に慣れるにはもう少し時間がかかる。
結局、この寂しさは時間が解決してくれるのを待つしかないのだ。
だけどこの寂しいと感じる心の痛みは、いつかきっとかけがえのない思い出となって私を成長させてくれるはずだ。