私の母は、何かと貯金をしている人だった。定期預金や私の学費に使うお金、将来のための蓄えとして持っておくお金などさまざまだ。いろんな銀行のいろんな通帳を持っていたので、子どものときはそれが不思議だった。
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ある日、買い物に出かけるついでに寄るのだと、通帳を持ってATMに行くのでついて行った。子どもながらにメインバンクではないことはわかったので、用途について聞いてみた。すると、自分の親がなにかあったときのための貯金だ、と言った。病気で倒れた、生活が難しくなった、など突然いつもの生活ができなくなったときに出番が来るお金らしい。
当時の私の年齢では、人が亡くなることは理解できていたが、親は永遠に居続けるものだとどこかで思っていた。いつか母も亡くなるのだと、いきなり目の前に来た現実にハッとさせられた気がしたと同時に、母が自分の両親を想う気持ちも感じられた。特に母は、祖母を急な病で亡くしている。私の曾祖母に当たる人で、その知らせを聞いた母は確かに動揺していた。今考えると、母の、祖母を亡くした経験が影響していたのかもしれないと思う。
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大人になって、実家を出て、親と離れて暮らす選択をした私は、家族から連絡が来ると昔のハッとした気持ちが蘇ることがある。もし親に何かあったとき、兄弟に何かあったときには、私は母のように動けるのだろうか。義務ではないし、権利でもない。私が長女で、兄弟の一番上に立つ人だから、必ず責任のあるポジションにつかなければいけないという決まりもない。ただ漠然と、親のこれからを支えるのは長女の仕事だ、と頭のどこかで思っている節はある気がする。
実家に居続けることも選択肢のひとつだったのだろう。そこは自分の気持ちを優先させたが、それだけで薄情な人だと判断されるのは遺憾だ。実家を離れたからこそ考える時間があり、ハッとした気持ちの蘇りを体験できたのだから。今の形になったことに後悔はしていない。これからは、家族全員が各々の暮らしを送りながらでも、理想の形は求められる。
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家族を支えることがマストだと思わなくても、私は家族のためになにか動ける人でありたいと思っている。年を重ねるごとに、考える頻度は多くなっている気がする。実家に帰省するときも、フレキシブルな環境を整えられるといいな、とぼんやり未来を想像している自分がいる。
家族に何かしらの還元をしたいと思わせてくれたのは間違いなく母であり、母が持っていた両親への愛だ。母の思いが娘である私に受け継がれ、私もまた、私のベクトルで親、家族への愛を向けている。母の教えは偉大だった。子どもの頃に私が母へ何気なく聞いた質問が、大人になって深く響いていることはすごいと思う。母も、突然聞かれて驚いただろう。子どもである私にわかるように説明することが難しいはずだ。私は知らなくても良かったことでもあっただろう。親への蓄えだ、という答えすらごまかしの回答だったかもしれない。それでも母の影響は大きく、答えてもらった時の記憶は、ちゃんと映像として思い出せる。
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これは、母が私に直接向けた愛ではない。母が自分の両親へ向けた愛だ。ベクトルの向きや大きさは違うけれど、娘である私は学んだ。
今日までの暮らしのなかでもその片鱗を感じさせられる出来事がいくつかあった。家族にどのように思いを向けるか、準備をしておくことも大切であり、常に覚悟が必要なことも。そして、私も家族にそのような思いを向けることがいつか必要になることを悟らせてくれた。
今は私自身の向け方で家族への愛を向けている。まだベクトルは細くつたないものだが、なるべく早く太く確かなベクトルへ成長させたいと思う。誰しもが、いつ何があるかわからない。明日かもしれないし、もっと先になるかもしれない。今、というときに動けなかったら、きっと後悔するだろう。家族のことで後悔はしたくない。だから私は、母が見せてくれた親への愛の向け方を受けて、家族へ還元していきたい。