私と母は相性が悪い。よく一緒に住んでいたな、とある種の感心を抱くくらい悪い。
私から見て、母は過保護、過干渉、ヒステリックその他もろもろ。近距離に住んでいた父方の祖母、母にとっての姑、とバチバチのバトルを繰り広げていたので、そのストレスもあったのかもしれない。
それらは今も見え隠れしているが、昔ほどではないので見ないことにしている。盆と正月の帰省くらいしか会わないし。

せっかちで思い込みが激しい母。お互いの意思疎通に問題があった

一番の問題は、お互いの意思疎通。
私は何かを話すとき、御託を並べてから最後に結論を言うタイプ。
母はせっかちで思い込みが激しいタイプ。

私の初めの一言で母が内容を先読みし、それが本当に言いたいことならいいのだが、たいていそうじゃない。結果、言った言わない論争勃発。大喧嘩。父の仲裁で有耶無耶になる。物心ついた頃から、その繰り返し。

今は各々の特性を理解したので、私は結論を先に言うようにしている。それでも母が意図しない風に理解したな、と感じたときは、ちょっと待ってと止める。思い込んだら話の途中でも立ち上がって即行動に移すので、本当に止める。

「服なんだけど、」
「洗濯ならこっちだよ!」
「ちょっと待って座って!ほつれたから針貸して欲しいの!」
一事が万事、こんな感じだ。

大学進学はチャンス。絶対に実家から脱出すると決めた私は地元を出た

一人暮らしを意識したのは、高校生のときである。進学校に通っていた私は、順当に大学へ進もうと考えていた。何をどこで学ぶか。調べるため高校の資料室へ行き、大学とその偏差値が一覧になっている書籍を手に取った。
そこには当然、地元以外の大学も載っている。私の行きたい学部は、全国津々浦々、どこにでもあった。

これは格好のチャンスだ。大学進学を期に実家から脱出する。絶対に。
手始めに父へ、どうしても県外の大学へ行きたいと伝えた。理由も言わなかったのに、父はすぐに頷いてくれた。好きなようにやりなさい、と。
私はありがたく好きなように受験し、最終的に地元の県から出て、とある大学へ通うことになった。

学費も家賃も、全て親が出してくれた。アルバイトで食費や交遊費くらいは稼いでいたけど、毎月私の通帳に、生活費としてお金を振り込んでくれた。
大人になった今、大学4年間の一人暮らしはままごとだったと強く思う。親の実体が部屋に存在しないだけで、実家暮らしと同等だった。アパートも生活費も与えられた、恵まれた環境。

就職をして今度は私の名前で契約したアパートへ引っ越し、初任給の手取り16万円と家賃5万円を見たとき。なんと重い数字だったことか。
やっと真っ当に一人暮らしを始めて、親に支えられた学生の時間は、驚くほど貴重だったと身に染みた。

社会人になって感じた母へのありがたみと長年働く父への尊敬

社会人の一人暮らしは困難だった。
あらゆることを自分でしなければならない。大学生のときは余裕でこなせていた家事が、働き出した途端にっちもさっちもいかなくなった。
平日は手抜き料理に最低限の身支度。休日にまとめて掃除や大物の洗濯、買い出し等。当たり前に生活を整えてくれていた母のありがたみを今さら感じた。

そして貯金が全然できない。びっくりするほどできない。辛うじて赤字にはならなかったが、生活費のために借金する人の気持ちをリアルに感じたことはある。
どうやって親は、実家と私の一人暮らし、ふたつの家を維持していたのだろう。長年働く父へ、尊敬の念を覚えた。

就職先が地元から遠く離れた東京だったこともあり、実家へ帰るという選択肢は、はなからなかった。一社目がブラックすぎて転職したときも、戻るなんて考えず、引き続き東京で職を探した。
それは、私は自立したのだからという他に、実家から脱出するという高校生のときから持ち続ける気持ちが相も変わらず強くあったからだ。

高校生まで実家で育ててくれたこと、大学生のままごとのような一人暮らしを許してくれたこと。両親にとても感謝している。しかし同時に、実家暮らしはもうしたくない。
時を経ても尚、母とは水と油すぎて。これからは時折の帰省で、うまく距離を取り衝突しないよう、仲良くやっていけたらと、そう思っている。