痩せている女の子は可愛い。その瘦身願望に関する呪いは、私の心を蝕んでいる。

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それゆえ、留学で太った私は今の自分のからだに自信がない。留学から帰ってくると、色々な人に「変わった?」と聞かれた。顎の下に脂肪がつき顔の輪郭が変わったから当然ではあると思うが。

「太ったからかも(笑)」なんて笑うけれど内心では傷ついていた。イギリスで売られているお菓子は極端に甘かったり、主食も米ではなく小麦であったりと理由はあれど、珍しいもの新しいもの試したさに体型のことなど考えずに食べていた。毎食バランスの取れた料理をつくってくれる母とも離れ、私は自分の食べるものを全て自分で決めなければならなかった。ある日突然自分で食事管理をしなければならなくなったとき、一体どうして体型を保てようか?

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海外にいたときは、二の腕やお腹に少しふっくらとした肉がついていても、タンクトップやミニ丈ジーンズを履きこなしていた友達に感化され、私もお腹が露出されるようなトップスを買ったこともあった。

夏に行われた建築学生が集う「Summer Ball」というパーティーで、いつもより洒落た装いをする機会があった。ドレスを持っていなかった私は友達に相談すると、彼女は私のもっているドレスを着たらいいよと言ってくれた。それは、肩の部分が紐になっている真っ黒なドレスで、鎖骨から二の腕までの大部分が露出されるデザインだった。借りるかどうか迷った末、ついに私はそのドレスを着る勇気が出なくて、日本から持ってきた長袖のワンピースを着ていくことに決めた。結局のところ、色々な恰好の人がいたから私の服装が悪目立ちすることはなかったけれど。

あのとき私は、自分が太ったことを実感し始めていて、からだを露出することに自信がなかったのと、露出をすることが単純に躊躇われた。私の母なら、私がミニスカなんか履いて家を出ようとしていたら、断固として反対するだろう。男たちが変な目で見るわよ、と。その事実は間違いないと思う。街ゆく人の誰もがひらひらを見てくるような気さえする。だけど、人からの視線を気にして自分が着る服を制限するのは何か違う。私は私の好きなものを着たい。知らない誰かの視線など気にしたくないのに。

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日本では瘦せている方が可愛いという痩せ崇拝があるが、帰国して間もなく私もその呪いにかかってしまった。留学中はその呪いから解放されていたのに。

体重計に乗り絶望した私は近所のジムに通うことにした。運動はダイエットだけでなく健康維持のためにも行った方がいいとは思うが、運動が嫌いな私にとってはジムに行くことが憂鬱で仕方がない。筋トレはあまり負荷をかけず、ウォーキングマシンは速度を早歩き程度に上げて使うくらいで、効果が出ているのかどうかはまだ分からないけれど。

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海外からの観光客がたまに半袖短パンで街を闊歩するのを見て羨ましいな、なんて思う。SNSの情報に踊らされ自分の見た目に自信がなくなって、過食症で苦しんだ後に自殺した少年をニュースで知った。その子のことは気の毒に思うし、私もSNSとの向き合い方を考えないといけないと思うが、私はそれでも執着するのをやめられない。

瘦せていることが美しくあることの要素になったり、肌の露出をすることで世間から冷たく見られる。十分瘦せている子でも彼女たちは自分のことを「太っている」と口をそろえて言う。棒のようにほっそりと痩せたあの脚に、私たちはなぜこれほどまでに憧れ追い続けるのだろうか。馬鹿げた固定観念だと知りながら、私は明日も自分に向けられる誰かの視線を気にするのだろう。いつか、この呪いが人々から去る日は来るのだろうか。