私は現在、社会人になってからも実家暮らしを続けているのですが、一度だけ親元を離れ東京で一人暮らしをしていた時期がありました。
進学した大学は地元から離れた場所にあり、通うのであれば新幹線通学が必須だったのですが、普通の在来線のようにキツキツの状態という事もほとんどなく、朝が早くても一度乗ってしまえば目的地までゆったりと寝て過ごす事ができたため、今思い返しても比較的快適な通学であったと思います。

最初はその通学方法に対しなんら不満を抱いていませんでしたが、入学し友人の輪が広がり、今まで住んでいた田舎とは違う広く新しい世界を知った事に加え、他大学との合同のインカレサークルにも入会した事で、新幹線の思わぬ所がだんだんネックとなっていったのです。

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それは……終電です。新幹線の終電って在来線の時刻表からは考えられないくらい最終列車が出発するのが早いんですよね。
都内に住む友人達からは一緒に遊んでいても私のタイムリミットがあまりに早い事に対してよく驚かれていたし、新幹線が発着する駅から私の住む自宅の最寄り駅に到着するには最低でも一時間はかかっていたため、終電の時間自体は早くともそれに乗り自宅に着く頃にはもうかなり遅い時間になってしまっていたのです。

そのため、何回か終電帰りが続くと迎えに来る両親には「もっと早く帰って来られないの?」と渋い顔をされました。
終電が早いとサークルが終わった後に皆でご飯に行くイベントに参加する事も中々できませんし、帰りの時間を常に気にするあまり友人と遊んでいてもイマイチ心から楽しむ事ができず……そういった事を繰り返していく内に、私の心中には色々と不満が溜まっていきました。

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しかし、そうはいっても一人暮らしをする、となれば今通っている定期代以上に莫大な生活費がかかる訳ですし、そもそも両親が納得してくれるかどうかも分かりません。
そのため、実家を離れ都会で一人で暮らす事に対して憧れは抱きつつも、細かな問題の多さにほとんど夢半分で諦めていたのですが、私が大学ニ年に進級した際、ダメ元で恐る恐る両親に相談したところ、まさかのまさか、思いのほかすんなり了承されたのだからこれには驚きでした。

理由は、私もずっと実家にばかりいるのではなく、一度は一人暮らしを経験した方が良い、といった考えに基づく物であったのですが、私としてはそんな考えはどうであれ、念願の一人暮らしが決まった事に対しこれにはもう拍手喝采、腹の底からの笑みが止まりませんでしたね。

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一度話が決まるとその後の詳細はトントン拍子に進みました。物件は内見を何ヶ所か周り、居住環境、大学への交通アクセス等を鑑みて検討し、その年の夏頃から念願の一人暮らしがスタートしました。
入居の最初一週間は母親が泊まりに来てくれ、ニ人で楽しく過ごしたのですが、母が私の部屋を去る日、駅の改札前で見送る際に唐突に今まで経験した事のないような果てしない寂しさに襲われたのです。

別にこれが一生の別れと言う訳ではありませんし、毎日新幹線で通学できていた程の距離であるのだから、変な話、何かあれば列車でも車でも、いつでも普通に会いに来る事はできるのです。
しかし、頭ではそう分かっていてもこれまで学校の林間学校や修学旅行といった短期のイベントくらいでしか家を空けた事のなかった私にとっては、もうこれがほぼ初めての長い期間の親との別れであり、それが心のダメージにならない訳がありませんでした。

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親元を離れて一人暮らしをする、その重さがこの時になり急に自分の身体にのしかかって来て、これまで抱いてきた一人暮らしに対する喜び、開放感はどこへやら、改札から見送り、だんだんと遠ざかっていく母親の後ろ姿を見ていると熱い滴が瞳から溢れだし、一度そうなってしまうと中々泣き止む事ができませんでした。

嫌だな……帰って欲しくないな、このままずっとここにいてほしいな。もういっその事私も実家に帰ろうかな……とそんなネガティブな感情がグルグルと脳内を駆け巡ります。
その日は一晩中、母が帰ってしまった切なさと一人になってしまった寂しさが相まって中々寝つく事ができませんでした。

しかし、人間とはやはり薄情な物ですね。次の日になるとその憂いは幾分晴れ、その日を境に私はだんだん一人暮らし生活をエンジョイしていけるようになったのです。

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慣れると、それは最早天国ともいえる快適さでした。あんなに恐れていた終電を気にしなくても清々と友達と遊べる、サークルの食事会にも何の気後れもせずに参加する事ができる。
あの時の寂しさはどこへやら、私は念願の一人暮らし生活をエンジョイしていましたが、普段は楽しくやれていても、長期連休で実家に帰り、その後大学が始まるのに合わせてまた下宿先へ戻る時になると、帰りの列車での道中は寂しさが募り、去りゆく実家を恋しく思ってしまいました。

そのまま帰ると最低でも一晩は寂しさを引きずってしまうので、そういう時は帰宅する前に友人と会い、楽しいトーク等を繰り広げてできるだけ今日実家から戻ってきた、という事実を思い出さないようにしていました。
実家は、やはり気楽です。何もしなくても食事は出てくるし、今は昔と違い勤め先も自宅から車で数十分の場所にあるため、終電の時間等を気にする必要もありません。

一人暮らしは、寂しさも付き纏う物ではありましたが、した事によって私は非常に良い経験になったと心から思います。あの時と現在とでは立場が全く違いますが、もし今また一人暮らしをしたとしても、きっとまたあの時のような恋しく思う寂しさが押し寄せてくるのだと思います。