私が、この半生で言葉にして良かったことであり、悪かったことは、「先生になりたい」という言葉だ。

まず、私は、この言葉を恨んでいるし、何かにつけて呪ってやろうかというぐらい憎んでいる。はらわたが煮えくり返るほどの怒りを覚える言葉でもあり、一生、後悔することはないが、おそらく、嫌いな言葉に入るだろう。

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「先生になりたい」。それは、唐突な思いで出てきた言葉であった。

当時、私が高校生の時、進路に向けて得意な英語を使った仕事としてたまたま目にしたのが、ある新聞に掲載されていた『小学校英語が教科化する』という一面記事だった。

子供に英語を教える仕事である、教員になりたいと思ったのがきっかけだった。

もう一つのきっかけは、その大学受験で進路が決まらないときに、その時の担任の先生で、私の所属していた部活の顧問でもあった先生が最後まで励まして後押ししてくれたことだ。その先生みたいになりたい、という思いが出たのもきっかけだった。

最後のきっかけは、大学に入って、教育実習を受けていたときだった。その時お世話になった先生は、中学校の英語の先生だった。初めは、そんなに大した思いは微塵も抱いていなかった。ただ、実習生だったのもあったから、色々教えてもらって、実際にその先生が現場で仕事をそつなくこなしている姿を目の当たりにしたことから、尊敬していたのか、慕っていたのか、分からない感情だったけど、その先生の姿が実習が終わって大学に戻っている時も忘れられなかった。

その出来事もきっかけで、結局、中学校英語教員になった。

今の自分で言うと、先生になってしまった、というべきなのだろう。それらのきっかけから、私は「先生になります」と進路のところで大学の先生方にもいった。

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なぜ、恨んでいるかというと、その仕事が想像以上にハードなものだったからだ。

大雑把にここの部分は書くが、先生の本命の仕事は、子どもというカスタマーを相手にそれぞれの教科を担当して、教科書をメインにして黒板に板書したり、子どもとやり取りしたりして、その日、その単元での学習内容に基づく大事な知識を教えることだ。

しかし、現実は少し異なっていた。本業でない部活動の仕事から時間を決められて行う職員会議や出張、研修、他の空いている先生の代理の仕事が後から入っていく。

授業を行うことでも時間がかかるのに、他の色々な仕事も含めてかけもちでこなしていくことについて、一年目の一か月の時点で弱音が出る状態になった。

色々な仕事で失敗する度、落ち込む日々が続いた。辞めたくてしょうがない時もあった。だけど、やりたかったことだから、我慢してやらなくちゃ、という気持ちで我武者羅にただひたすら頑張り続けた。

その二年後、私は「何のために先生になりたかったのだろう」とぼんやり思うようになった。毎日、朝早くから出勤して夜遅くに仕事が終わって深夜に帰ってくる日々が続いたことから、よく眠れず、食欲が時にわかず、仕事中に一人になりたがることが多くなった。結果、適応障害と診断されてそれから休養をとっている。

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しかし、先生にならなければ気づけなかったことに気づくことが出来た。睡眠とバランスの良い食事をとること、運動と読書をすることを休んで実際に実践した。少しずつだが回復している。

あとは、高校生の時にあった、英語を子どもに教えられる仕事に就くという夢を実現できたことを思えば、この言葉を言えたことは良かったのかもしれない。実際に、先生という仕事をし教員採用試験に合格することができた。

いまは、休んで0から考え直していることから、先生を続けた経験を生かしていきたいと思っている。

この言葉を口にして悪いこともあったけど、尊い仕事の為、自分の支えた子どもが少しでも成長する姿を見れることも少し良いこと、なのかもしれない。