初めてその人の腕枕に頭を置いた日、「付き合ってる奴らすごすぎる。一人に絞るとか考えられない」と言い放たれた。
ああ、こうなる前に付き合うのかどうかを確認しなくて良かった。「は?」という顔で見られたら、一生かけても立ち直れなかっただろうから。
そんな始まり方をしてしまった彼への恋心は、その人を知るうちに、心配に変わった。
彼の地雷を踏まないよう、可愛いと思ってもらえるように気を遣った
その人は、私をよく怒った。主にLINEのやり取りの中で。無表情の文面で殴り掛かられるのがそれはもう恐ろしくて、彼の地雷を踏まないように、同時に可愛いと思ってもらえるように返事をするのは大変気を遣う仕事だった。
私はその人みたいなタイプの人とあまり関わってこなかったから、会話を合わせるのに苦労した。うまく話せなかった。言葉が紡げなかった。主語・動詞・目的語のSVOが組み立てられなかった。
どうしたら彼に馬鹿にされないかと困惑しているうちに、どうぞ見下してくださいと言わんばかりの、控えめで抜けている女をやることになってしまった。それが功を成したのか、その人は私に罵倒とアメを繰り返した。
そうやって過ごして3ヶ月、「言い返さない・主張しない・Yesマン」な人間になった私をその人に結び付けていたのは、ほとんど恐怖と、恐怖からくる承認欲求を着た執着になっていた。
ある日、私の発言がその人の逆鱗に触れてしまったらしく、「二度と連絡してくるな」と送られてきた。手の付けられない怒りようだったから、終わったのだと悟った。謝罪と感謝を簡潔に伝え、気持ちにも終止符を打ったつもりだった。
それから2ヶ月ほど経って、急に毎日電話が来るようになった。すぐに会うのは躊躇われたけれど、1ヶ月ほど経った頃に会いに行った。
一度終わった前より、私を見る目がずっと優しかった。以前は人のことを睨むような目に怯えていたから驚いた。
そして、次に会うとき、大事なことを話してくれると言った。関係の発展を望む女にとって、嬉しいことを言ってくれるような口ぶりだった。
でも、もう会うことはなさそうだ。また私は、ご所望の振る舞いができなかったらしい。
「愛してる」と言った後「嬉しい?」と確認する彼の中に寂しさを感じた
その人は自分勝手だった。でも、想定外の言葉に激しく怒ってしまうのは、傷つきやすい証拠なのかもしれない。傷つくのが怖くて、自己防衛として攻撃しているのではないだろうか。
多くの女性と交友を持ちながら、誰とも真剣に向き合おうとしないのは、むき出しの自分を愛してもらえるかどうか不安なのかもしれない。社会的地位や高価な持ち物、功績を主張するのは、そういうことでしか認めらない青春時代を過ごしたとか、本当は自信がないからなのではなかろうか。その人の抱える孤独はきっと深い、と勝手に想像してしまった。
それとも、ただのクズに引っかかったと認めるべきかもしれない。でも、ただのクズだとしても、クズと分類されてしまう人間になった背景があるでしょう。
私は、誰かに問題がある場合、その人自身よりも背景の側に責任があると思うから、憎むよりもやっぱりどこか心配してしまう。石を投げてくる人には、投げ返さずに抱きしめたい。
一度だけ、その人が私に弱音を吐いてくれたことがあった。「嫌なことがあった、辛い」と。
詳細を聞くことはなかったけど、もしかしたらこれまた女を沼らせる手口かもしれないけど、本音だとしたら、普段どれほど強がっているのだろうか。ネットを見ながら他人を批判する態度からは、肩に力を入れ過ぎていると感じた。
「愛してるよ」と告げた後に「嬉しい?」と確認する電話口のその声は、高圧的な態度の中に寂しさを含んでいた気がした。女を転がせて面白がっていただけならば適当に怒りを抱いて愚痴を吐くけど、人の眼の奥に宿る悲しみや寂しさが見える人だったから、うまいこと感情を決められない。
あの人の「愛くるしい笑顔」を引き出してくれる人が現れますように
その人の本音を引き出したかったけど、きっと私は器じゃないのでしょう。もっと楽に生きていいと知って。私じゃなくていいから、誰か教えてあげて。私はもう思い出せないけど、愛くるしい笑顔を沢山引き出してあげて。
助手席に座るときは、過去の栄光を語り出させるより先に気の利いた話をして、今を楽しませてあげて。うまく甘えさせてあげられる人が、あの人の前に現れますように。
私は私で、他にやることがある。しっかりしよう。
いつ着信がきても出られるようにと、枕元にスマホを置くのを止めたら、よく眠れるようになった。
ジン・コレクターであるその人の誕生日に合わせて用意したジャパニーズ・ジンも、そろそろ飲もうかな。出会った時のように、一緒に飲みたかったなんて、そんな淡い期待も丸ごと呑み込みたい。緒に開けてくれそうな友人に声をかけよう。ジン、好きな人?