自堕落だった大学生活を悔い、現役生を羨ましがる自分に思うこと

最近、大学生を見かけると「いいなぁ」と思うようになった。
彼らは自分たちの能力を、可能性を、価値を高めることに集中出来る環境にある。それが、いいなぁと思う。
そんなことを言いつつ、私は真面目な大学生活は送れなかった。朝まで飲み会ウェイウェイ、という方向性の不真面目さではない。
田舎で地味に生きていながらも、専攻した分野を極める気が起きず、能力も低く、自堕落に生きていた。一番最悪なタイプの大学生だ。
私が通っていたのは、教育大学の美術コースだった。
卒業論文の代わりに、卒業制作を提出する。最も心残りなのは、やはりこれかもしれない。
1年かけて構想を練り、準備をし、大学生活の集大成となる作品をつくる。最終的に展示を行うので、その前に教授陣から講評をしてもらい、合否と評価が決まる。
私の通っていた大学では、その日程が毎年クリスマスと被っていた。当時の私たちにはそんなことに文句を言うような余裕はなかったので、特に問題ではなかったが。
私が提出したのは、オリジナルキャラクターのフィギュア3体とそれぞれのキャラクターが登場する短編小説を印刷した幕だった。そのときBSで放送されていた「ウルトラQ」に影響され、「怪獣+食」というテーマで制作した。
我ながら、コンセプトは悪くなかったと思う。ただ、ビジュアルとストーリーともに密度が低かった。もっと時間をかければ良かったんだけど、あのときの私には無理だった。
タイムマシンで戻れたとして、大学生の私を椅子に縛り付けて机に向かわせたとしても、無理だったと思う。集中して作業出来る状態ではなかったから、ただただ色を重ねて、首をひねって、消して、を繰り返すことになるだけだろう。
だから、やり直すとしたらもっと手前、1、2年生のときからにすべきだ。その時の自分に何か声をかけるとしたら……なんだろう。全然分からない。当時の自分を望む方向に導ける言葉が、全く浮かんでこない。結局、私には無理だったのかも。
今、私がうらやましく思っている学生たちの生活も、実際にはそれほど楽しいものではない場合もあるだろう。バイトが忙しかったり、積み上がっていく奨学金の借入額に怯えたり、単位の取得が厳しかったり。
自分磨きしやすい期間でありながら、身体的、精神的にそれが可能な学生ばかりではない。結局は、学生だろうがそれ以外の立場だろうが、本人の資質次第でしかないのかもしれない。
そう考えた上でも、大学生らしき若者たちを見かけたときに真っ先に思うのはやっぱり「いいなぁ」だ。
もっと年齢を重ねたら、今の自分と同じ20代半ばの人たちに対しても同じように思うようになるのかもしれない。そう考えると、なんだかバカらしい。何度同じことを繰り返すつもりなのか。後悔のないよう日々を過ごしていけよ、と自分に思うが、もう治らないような気もする。
かがみよかがみは「私は変わらない、社会を変える」をコンセプトにしたエッセイ投稿メディアです。
「私」が持つ違和感を持ち寄り、社会を変えるムーブメントをつくっていくことが目標です。
恋愛やキャリアなど個人的な経験と、Metooやジェンダーなどの社会的関心が混ざり合ったエッセイやコラム、インタビューを配信しています。