これを読んでいるあなたは、サンタクロースをいつまで信じていたか、明確に覚えているでしょうか。

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私は明確に覚えています。

中学1年生の冬のことでした。それまで私は、サンタクロースを信じていました。

突然父が、「今年のプレゼントはこれでいいか?」と聞いてきたのです。私はとあるゲーム機をサンタクロースにねだったのですが、チラシに載ったそれとまったく同じゲーム機を指さした父を見て、私はサンタクロースを信じられなくなりました。サンタクロースは親なのだと。親の方から夢を壊しにかかってくるのを笑いそうになりましたが、なんだか父らしいなと思いました。不器用な愛し方しかできない父を体現したかのようでした。

そんな私は、戻りたいクリスマスがあるというより、サンタクロースを信じていたころに戻れるならと思います。

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当時の私は、サンタクロースを信じていたというのを超えて、サンタクロースを見たら怖いことが起こるとまで思っていました。なかなか眠れないクリスマスの日、これでは怖いことが起きてしまうと、泣きそうになりながら母のもとへ行ったことをよく覚えています。

サンタクロースを見たらプレゼントがもらえないのではないか、もしかしたら連れ去られるのはないかと、怖くてたまりませんでした。今思えば、そんなことはありえないのですが、妄想をしては、クリスマスに眠れないことに対して、ひどく怯えていました。

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そんな純粋で、人のことを信じやすかった幼いころの自分に戻れたらと、うたぐり深くなってしまった今、思うことがあります。
誰もが大人になると、子どものころと比べて、うたぐり深くなってしまうような気がしています。成長するにつれて様々な人と関わるのですから、当然のことともいえるかもしれません。

サンタクロースを信じていたころに戻れるのなら、私はもう一度、プレゼントをもらいたいです。サンタクロースを信じなくなってから、私はプレゼントではなく、現金をもらうようになりました。好きなことに使えるから、というのが大きな理由で、毎年5000円をもらうようになりました。夢がなくなった、と捉えることもできなくはないでしょう。

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私は、夢のあるころに戻りたいと思うことがあります。サンタクロースを信じていた、あの頃のような純粋な私に。「夢」が幻になった瞬間は、とても儚かったと思います。父を恨んでいるわけではないですし、どのみち親がプレゼントを渡していたことは、わかることだったのでしょう。ですが、あの夢のある頃に戻りたい、夢を見ることができた頃に戻りたいと思うことがあります。

今は、エッセイや短歌をはじめとした創作に力を注いだが故に、夢というものを見られなくなった気がしてなりません。もしかしたら、創作に力を入れているという感覚が夢なのかもしれません。大人になるということは、サンタクロースを信じなくなるというよりも、夢を信じなくなることなのかもしれないですね。

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サンタクロースを信じられていた頃は、夢の存在も信じていた。今は夢というものが霞んできているような気がします。もう一度サンタクロースを信じていた頃に戻ることができるのなら、プレゼントと夢をもらいたいです。あの頃に戻ることができるなら、夢を見るという感覚を取り戻して、今に戻りたいと思います。