前提としてこの文章は、何かを伝えたい・共感してほしいわけではございません。自分が思うことをつらつらと綴っているだけ。だから少しでも不快さを感じたら、ページを閉じて、美味しい紅茶でも淹れてください。さて、それではいきますね。
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「生き方は、人それぞれだ」。
例えば、子供が欲しい・欲しくない・欲しいけどできない、いろんな人がいても子孫繁栄をしなくては少子化が進む一方だし、どう足掻いても妊娠出産は身体が女性でなくては不可能だし、妊娠は女性一人でできることではないからパートナーを見つけなくてないけないし、物理的に妊娠出産ができてもお金がないと自分も子供も生きてはいけないし、だからお金を稼がないといけない。
一生独りで生きていくとしても、必要最低限の住居が必要で、食料が必要で、衣服が必要で、だからその為のお金が必要で、だから最低限の生活ができるレベルには働かないといけない。働けない環境にあって生活保護を受けると今の日本では冷たい目で見られることも多い。
お年を召した人が年金だけでは生活が難しく、酷暑の夏でもエアコンつけない日々を送っている、というニュースを今年も何件も見た。そのまま独りで死んで数ヶ月後の異臭騒ぎで発見され、最期に他人に迷惑をかけるなんて嫌だ、と思いながら、そんな最期を迎えた人のニュースも見た。
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なんだそれ。
「生き方は人それぞれ」って、そういう意味じゃない。最低限の生活が約束された上で、ある程度自分の生き方を選択できるのが、「生き方は人それぞれ」というのではないだろうか。
「もう、多様性の時代だ」
でもジェンダー関係の事件やトラブルは絶えないし、戸籍上の同性は日本で籍を入れられない。
男女平等社会は進んできたけど、身体的特性としておそらく女性より男性の方が筋肉がつきやすいし、だから力も強いことが多い。年齢だってそう。もちろん生活や仕事によるけど、若い人の方が体力があることの方が多い。人間には「老い」というものがある。
身体的障害は見た目で分かりやすくサポートが必要なことも分かりやすいけど、知的・精神的障害は見た目では分からないから、サポートも受けづらい。冷たい目で見られたり、それとなく避けられたり、甘えだと思われることも多い。
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日本人は海外の人に対して「かっこいい」という印象を持っていることが多く、だからこそ街を歩く海外の人に視線が集まる。「背が高くて格好良い」「顔立ちがくっきりしていて綺麗」そんな憧れの視線だからこそ、その視線に対して海外の人が嫌な思いをしているかもしれない、と気づけない。
性別、年齢、国、仕事、身体的個性、知的個性、精神的個性。「多様性」ってなんだ。
「一人ひとりが個性や能力を輝かせて、自分らしく生きれる社会」を目指すには、人間は少々不平等すぎるのではないか。
わたしはありがたいことに五体満足で生まれ、横浜の裕福な家庭で育った。大きな病気もせず怪我もせず、幼稚園から大学まで(大学は辞めてしまったけど)充分な教育を受けさせてもらい、絶望的な苦手分野もあるけど、それなりにできる得意分野がある。精神を患った時期がありながらも、今は寛解し週5日フルタイムで働く社会人になった。
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この堅苦しい日本を、より生きやすい世の中へ。社会的弱者が、不利な立場にならないために。マイノリティという言葉を、この世から無くしたい。そんな大きな何かを成し遂げたくて、今の会社に就職したわけではない。あまり不自由がなく、でもたくさんの贅沢ができるわけではないくらいの給料をもらって、たまの大型連休や有給を少し楽しむために、この会社に籍を置いてる。
仕事をしないと稼げないし、稼がないと生活ができないし、最低限の生活ができないと、自分の人生を選択することもできない。だから今日も、ただなんとなくオフィスに向かう。きっと日本人の多くが、こんな感じなのではないだろうか。