石油も凍る厳しい冬を生き抜く人たち

「四季のなかで一番好きな季節は」と聞かれたら、春と答える。次に好きなのは秋だ。蒸し暑いのも寒いのも苦手だし、春の湿った土の匂いを運ぶ優しい風が大好きなのである。
けれど、「四季のなかで一番心浮き立つ季節は」と聞かれたら、私は冬と答える。

私は生まれも育ちも北海道札幌市である。冬はマイナス気温までしか上がらないことが多く、雪もそれなりに降る。水分を多く含んだ大きな牡丹雪も、さらさらなパウダースノーも降る。
雪かきは必須である。自分の家周りの雪をかいて、庭に捨てる。これがなんとも重労働で、やってもやっても雪は降ってくるのでうんざりする。庭のない家は近くの雪捨て場へ雪を持っていく。大きなソリに雪を積んで、後ろ手に引いて歩く姿をよく見かける。日が進むごとに雪捨て場の雪山は大きくなるが、重たいソリを引いて雪山を登り、雪の少ないスペースに向けて雪を捨てるしかない。高齢者も皆前かがみになってゆっくり登っていく。

天候はといえば、晴れかと思えば雪が降る。雪が止んだかと思えば吹雪になる。風が強いと傘など差せないので、雪が正面から吹き付ける中を歩く。冷たい風にさらされて耳が千切れたかと思うほど痛くなることもある。手袋をしていても手がかじかみ、膝のあたりがピリピリと切れたように痛くなると、今日は寒い日なのだと感じる。できるだけ天気のいいときに雪かきしたり外出したりしたいが、そうもいかない。

少し前、部屋掃除をしていると古い本が出てきた。札幌の古老から明治時代の暮らしについて話を聞き、語り口そのままにまとめたものだった。印象的だったのは、酒も石油も凍ったという話である。家には隙間風が入り込み、暖房設備も当時の炬燵(こたつ)しかなかったようだ。
恵まれたことに、私は家の中で凍える経験をしたことがない。酒も石油も凍るような家の中で過ごすというのは、どれほど厳しいのだろう。冷凍庫のような部屋で眠りにつけるのだろうか、体調は崩さないのかと思う反面、これほど厳しい環境で生きていける人間の強さに敬服した。

夜に雪が降ると、道が明るい

冬は厳しいが、私は冬が来るのを心待ちにしている。
昨年、仕事が終わらず精神的に参っていた時のこと。不調が体にも出始めて、会社へ行きたくないのに仕事は終わらせなければならなくて、半分泣きながら会社に向かう日々だった。
2月の寒い時期で、家を出た瞬間にお腹から震えが上ってきた。寒さに耐えながらギシギシと音を立てる雪を踏みしめ、うつむきながら歩いていたように思う。ふと目線を上げると、薄く雲がかかった薄青の空から、ほんのりと雪が降っていた。感じる程度の風が吹いて、桜の花が吹かれているかのように雪が舞う。朝の柔らかな日差しを雪が反射し、小さく輝いていた。歩いていても視界の端々で雪が輝き、とても綺麗だった。重たい気分など吹き飛んで、その日は空を見上げて歩きながら駅に向かった。テレビに映るどんな綺麗な景色や宝石を見るより、ずっと心が震えた。

夜に雪が降っていると道が明るい。雪雲や雪に光が反射するのか、普段は真っ暗な帰り道も夕焼けのように明るくなる。なんとなく帰り道を見守られているように思えて嬉しくなる。
吹雪になると、縦横無尽に雪が吹き付ける。そうすると、葉を落とした広葉樹は粉砂糖を振りかけたように木の枝先までひとつ残らず雪が積もり、常緑樹はゆるい生クリームを載せたようにもったりと雪をかぶる。小学校の校庭のフェンスの網目一つ一つにも雪が入り込み、緑のフェンスが真っ白くなる。この光景を見て、日の光を反射して輝く美しさに感動し、冬の厳しさを知り、冬を生きる人間の強さを感じて、なんとも嬉しく、誇らしくなるのだ。

きっとこの先も「四季のなかで一番心浮き立つ季節は」と聞かれたら、私は冬と答えるだろう。