私は大人になるにつれて、どんどん名字が気に入っていった。

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某人気男性アイドルグループのメンバーと名前(フルネーム)がほとんど同じと言う事もり、昔は恥ずかしかったけれど、人から覚えて貰いやすいし、女性アイドルだったら負い目を感じてしまうけれど、男性アイドルという事がちょうど良い心地だった。その方のファンだったわけではいけれど、同じ名字というのは何かしら意識してしまうもので、その方が持つ柔らかい雰囲気や才能を知るたびに、同じ名字である事が嬉しかった。

学生の頃はいじってもらったりしたけれど、社会に出ると機会は無くなり、そんなもんかぁと思っていたら、飲み会の場で「実は、そのアイドルのファンで、新入社員名簿を見た時どんな子が来るのかなー?」って楽しみにしてたんだよ(笑)と言われた時は私の力じゃないのに、名前が持つパワーを感じて嬉しかった。

私は人に積極的に話しかけに行けるタイプではいし、地味な人間だから、小さくても人に印象を持ってもらう事が出来る、名前は一つの武器だと思っている。だからこの名字じゃないと、私の名前の威力が減ってしまう。

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流行りだったからかもしれないけれど、学生の頃、友達同士を名字で呼び合ったり、自分のことを名字で呼んだりすることが多々有った。働き出してからは、名字でしか自分を名乗る機会は無くなったから、私=名字。年々、その気持ちは強くなっていったと思う。

私の職場には、結婚して仕事で使う名前を変えた人、変えなかった人の両方が居て、理由を聞いたところ、変えた人は、特に気にしていなかったり、仕事運が名字を変えた方が良かったからという理由だった。変えなかった人は、自分の今までの仕事の履歴を残すためとのこと(名前を出して物をつくる仕事をしています)。

私は、どんなに仕事運が良かったとしても、きっと仕事の名前は変えないだろう。仕事の特性もるかもしれないけれど、ここまで踏ん張ってきた私=名字だから、戦闘服の一つとして。この先、結婚して名字が変わることになったとしても、「仕事と日常、名字が2つ有って楽しい〜」くらいにしか感じないのかなと思っていた。

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けれど、私は姉妹だから、共に結婚したらこの名字はここで途絶えてしまうんだという事が、小さい頃とても悲しかった記憶がある。決して珍しい名字では無いけれど、家族や親戚の存在が小さい頃は大きかったから、一員であるために必要な物だと思っていた。

今はもう集まることが出来ない人が増え、彼らの存在が小さくなるにつれ、彼らとの縁を繋いでいる名字がより一層大切になった。「踏ん張らないと」と1人で思う時、頑張り屋のおばあちゃん、何とかなる精神のおじいちゃんらのルーツが、私の背中を支えてくれる気がする。

名字は、これまで私たち先祖・家族が作ってきた小さな歴史を現しているもので、1番の味方と繋がれるものだと思う。『チーム○○家 現代代表』頑張ります精神。普段は気にすることないけれど、きつい時、助けられています。

別に、名字が変わるから縁が切れるなんてこと絶対に無いけれど、大切な縁、名乗っていたいな。同じ名字になることに憧れる年齢も過ぎて、1人の私としての意識の方が強くなったのかも。あなたも私も、大切な縁で繋がれたチーム代表。それくらい爽やかでいたい。今は代表として、このチーム名を大切にしていこうと思う。