月日が経つにつれて、私の「さびしさ」は薄れていったような気がする。

今の私には大切な恋人がいるが、恋人と会えないからといって、さびしいと思うことはあまりない。確かにさびしい自分もいるのだが、恋人がさみしがりやの私を気遣ってしょっちゅう連絡をしてくれるので、とても救われている。
でも、小さい頃の私は「さびしさ」とうまく向き合うことができずに、気持ちに蓋をしていた。

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私の両親は共働きで、私は2歳の頃から保育所に預けられていた。小学校にあがってからも放課後は学童保育所で過ごし、仕事が終わるまでずっと親の帰りを待っていた。

保育所にいた頃の記憶はほとんど残っていない。
先生にくっついて、お昼を食べて、お昼寝をして、遊んで…といった毎日を繰り返していたような気がする。画用紙で鯉のぼりを作ったり、プールに入ったり、絵の具でお絵かきしてみたり、次から次へと色々なことを体験する日々だったと思う。先生やお友達もいたし、別にさびしくはなかった。

小学校にあがると勉強がメインになり、じっと座ったまま授業を受けていた。でも授業が終わると、そのまま家に帰る子と学童に行く子がそれぞれ分かれて帰る。
学童へ向かう帰り道、私はこう思った。
「お家にお父さんとお母さんが居たら良いのに」と。

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なぜ私は学童へ帰らなければならないのだろう。お家に帰りたいのに。
お父さんとお母さんが家にいてくれたら良いのに。学童にはお友達がいるけど、お父さんとお母さんとももっと一緒に過ごしたい。
でもこの気持ちを話したら、お父さんとお母さんにきっと迷惑がかかる。
お父さんとお母さんは私の生活のために働いているんだから。
一緒に居たいなんて言ったらだめ。

さびしいくせにさびしくないふりをするために、学童では本を読んだり、勉強をしたりして気を紛らわせていた。
友達と遊ぶのももちろん楽しいけれど、心の何処かで「私が求めているのはこれじゃない」という思いがあり、ずっともやもやしていた。
「お仕事がなければ私と一緒に居てくれるのにな」と子供心に思ったことがある。
そんなことは両親にとても言えなかったが、心の奥底ではずっと考えていた。

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両親とは心の底から遊んだことはない。
休日は仕事疲れで二人とも家でゆったりしていたし、疲れているのを知っているのに「一緒に遊びたい」とは言えなかった。
仕事から帰ったお母さんに、トランプをしよう!と誘ったことがあったが、「お母さんは今からご飯を作らないといけないから、今度ね」と言われてしまった。
その“今度”が来ることはなかったけれど。

今の私からしたら「あー、あの時の私はさびしかったんだろうなー」と思うけれど、当時の私はきっとあのもやもやした感情に悩まされていたんだろうなと思う。せっかく学童に友達がいるんだから、一緒に遊べば良いのに、本やら勉強やらを必死に読んだりやったりしていた。さびしさを誤魔化すためにやっていたんだろうけど、上手くさびしさと向き合えているとは必ずしも言えない。

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じゃあ、今の私はさびしさに向き合えているのか?それもよくわからない。
さびしいと考えるのが面倒になったから、考えていることを放棄しているのかもしれない。
ただ言えるのは、小さい頃の私はさびしさに向き合うのがとても下手だった、ということ。ただそれだけ。