10年前の高校生だった頃、私は身長165cm・70kg以上の大柄な体型だった。
自分の体型が嫌いで、他人にデブだと思われるのが嫌で、いつもボディラインを隠すためのジャケットやカーディガンを着ていた。
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高校卒業が目前になった頃、ダンス部だった私は毎年恒例の卒業記念公演でタイトな衣装を着ることに。
その年の卒業記念公演は、ダンス部ではない子がサプライズで登場するのがメインイベントだった。
タイトな衣装で自分の太さが目立つのは嫌だったが、卒業目前のイベントムードに紛らわされ、衣装のことはあまり気に留めず過ごした。
無事、卒業記念公演は終了。
卒業を悲しんで泣く子がいるほど、思い出に残る日になった。
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あれから2年。成人祝いで、高校の頃の友人とお酒を飲むことになった。
男女6人、久しぶりに会う友人ばかりで思い出話に花が咲き、卒業公演の話に。
すると男友達のひとりが、「てか知ってる?あれ、サプライスでA子ちゃん登場したじゃん。実はA子、公演前に裏でお前のことデブって言ってたぞ..w」と言い、他の男友達と笑った。
私は陰口を今さら言われたことよりも、あのときイベントのムードに飲まれてタイトな衣装を着た自分を恥じた。
もっと他人からの視線があることを意識するべきだった。
他の衣装をダンス部メンバーに提案するのも手だった。
というか、そもそも太っている自分が悪い。
この羞恥心の元凶は、自分の体型の太さにある。
それから、他人からの視線が怖くならない体型になろうと決めた。
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5年が経った。私は20歳のときの決意から、約20kgほど痩せた。
でも、他人からの視線がまったく気にならないわけではなかった。
ただ、20歳の頃と比べると、他人からの視線への恐怖心は薄れた。
これは、痩せたからというよりは5年の間にあらゆる世界を見たからだと思う。
21歳のときに行ったフィリピンでは、スキニーな女性もグラマラスな女性もみな堂々とビキニを着て、ただ海を楽しんでいた。
23歳のときに行ったニューヨークでは、体のサイズどころか、背の高さ、肌の色、髪の色、目の色....本当に多くの人がいた。そして誰もが他人からの視線を気にしていなかった。
海外で見た、他人の視線を気にせず堂々としている女性たちは、本当に美しかった。
高校生の頃の私は、「美しい人は体が細く、肌は白く、手足は長く、顔は小さく目はくっきりとしていて...」と、見た目に美しさが宿ると思っていた。
だが今は美しさは見た目じゃない。心の持ちように美しさが宿ると知った。他人の視線を気に留めず、堂々と過ごす人は美しい。
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とはいえ、長年「見た目=美しさ」だと思っていたから、すぐに“堂々とした内面の美しさ”を体現できるわけではない。
今でもたまに高校生の頃に陰口を言われたことを思い出しては、外出したり鏡を見たりするのが怖くなることもある。でも心の余裕を取り戻したときは、フィリピンやアメリカで見た素敵な女性たちを思い出す。
そして、お腹のラインがでるタイトなワンピースや、お腹がでるクロップド丈のトップス、二の腕がでるノースリーブ、太ももがでるミニスカートを着る。
高校生の頃は、ボディラインを隠すジャケットやカーディガンが手放せなかった私。
色々な服が着れるようになったのは、きっと大きな進歩だと思う。
ただ、まだ完全に自分の体型を誇れているわけではないし、完全に他人からの視線が怖くなくなったわけではない。
今のまま、できる限り他人からの視線を意識せず着たい服を着て、いつか完全に他人からの視線が怖くなくなるといいな。