芸術大学で文芸を学んで四年目に突入したが、まだまだ芸術の世界をすべて辿れたとは言い切れない。いつだって芸術の世界は奥深く、果てしないからだ。

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高校時代は、まさか芸術大学で学んでいるとは想像もしていなかった。芸術とはまったくかけ離れた職業に憧れていた十七歳の私に伝えたら、どう驚くのだろう。

高校一年生のとき、音楽と書道、美術の三つの授業から、私は美術を選択した。そのころに芸術に目覚めたわけではなく、絵を描くことよりも文章を書くことが好きで、読書も大好きだった。もし文芸の授業があったら、迷わずそれを選んでいたと思う。そんな私が芸術大学にたどり着くまで、かなり遠回りしたといってもいい。さらに、そこで学んで得たことは語り切れないほど沢山あるのだ。

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芸術学部芸術学科に所属しているので、まずは宗教学や日本美術・西洋美術、陶芸といった和の伝統、狂言などを学ん。さらに文芸を専攻していることから、小説やエッセイの創作技法を学んで、実際に執筆している。

いざ自分の好きなジャンルの小説を書こうとすると、最初はどうしても肩の力が抜けなくて、堅苦しい表現になってしまった。もう少し軽やかに書きたいなあと思う反面、「恋愛小説が書きたい」と意気込みすぎて、書けない状態が続いた。

私はかなり苦戦していたし、この学びの道を選んだことを後悔しはじめた。けれど、小説の本編を書き始める前に書いたプロットを一旦忘れて、書いてみることにした。そうすると、些細な想いから豊かな描写がすらすらと溢れ出てくるようになって、初めよりかは書けるようになった。これが書きたかったものだと納得できるようになったのは、つい最近のことである。

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こうした文芸の学びが、この先どこで活きていくのかは、ぼんやりしたままだけれど、きっと役に立つと私は信じている。文章を書くことが楽しいと思えるようになるまで、三年半かかったけれど、創作することは自分の意志や感情を表すだけでなく、誰かの想いや葛藤を想像することに繋がるに違いない。

同世代の人に限らず、同じ国や世界で生きる人が日々抱える感情に共感できるかもしれないし、心情を読みとることも難しくはないかもしれない。そして、「じゃあ、どうしてこの人は今悲しいのだろうか」と、その感情になるまでの背景を辿って、想像してみる。そうすると、ひとつの物語が立ち上がってくるし、その想像力が「人の気持ちに寄り添うこと」に繋がっていくと、私は考えている。だからこそ芸術のなかに根付いている文芸を学んだ先には、果てしなく広い世界が待っているのだ。そう信じて、私は書くことをやめないと宣言したい。

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レポートだから書くとか、与えられた課題として作品を生み出すだけが芸術ではないことを、この四年間で学んだと思っている。さらに、好きなものをとことん追求していくことも人生を豊かにするきっかけになるはずだ。もしそれが時には孤独だと感じることや、孤独を忘れさせてくれる楽しいものだとしても、結局は好きで溢れていく。その先には、きっと誰にも負けないくらいの愛が広がっている。こうした考えは芸術の世界を飛び出しているけれど、芸術と出逢って生きていくことって、そういうことだと今とても感じている。

特に恋愛小説を書くことは、出逢って好きになるという過程で、登場人物の気持ちになりきって「好き」をあふれさせることが大事だと思い知らされた。それは「小説」の世界で成り立つことだから、現実とは違うと思われるかもしれない。それでも、芸術の世界には現実とは違う「夢」が溢れていたほうが、思いっきり芸術を愛することができるのだ。